吹田明日香の母は日航機事故の犠牲者だった!爆報フライデーで告白の新事実と不思議な出来事とは?

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4月29日の爆報フライデーに吹田明日香さんが出演しました。

吹田明日香さんは「スター誕生!」をきっかけに、1983年、18歳でアイドルとしてデビューしましたが、人気絶頂の21歳の時に芸能界から姿を消してしまっていました。

その理由が、1985年の日航ジャンボ機墜落事故だったというのです。

なんと事故を起こした旅客機に母親が搭乗していたのだそうです。

この衝撃的な事故を境に、吹田さんは芸能活動を停止し、事故について語ることなく、テレビから姿を消したのでした。

その日航機墜落事故から今年で31年。

52歳となった吹田明日香さんが、これまで封印してきた事故について爆報フライデーで遺族だけが知る新事実を語ってくれるというので、覚悟して見させていただきました。

31年と考えると長い年月ですが、吹田さんの母親への思いは、昨日のことのように溢れ出していました。

詳細を見ていきましょう。

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【吹田明日香のWiki風プロフィール】

まずは、吹田明日香さんの簡単なプロフィールを見ていきたいと思います。

本名:   吹田 明日香 (すいた あすか)

生年月日: 1964年3月13日 (52歳)

出身地:  大阪府豊中市 (出生:京都府)

最終学歴: 同志社大学文学部英文学科

経歴:   文学座付属演劇研究所卒

血液型:  B型

資格:   日本アロマ環境協会認定 アロマテラピー・インストラクター

事務所:  株式会社アデッソ

吹田明日香さんは、同志社大学に在学中の18歳の時に「スター誕生!」の第41代グランドチャンピオン(1982年)となり、翌年1983年に「バ・ケー・ショ・ン」で、歌手デビューをしました。

「スター誕生!」と言えば、森昌子、山口百恵、桜田淳子、ピンクレディー、中森明菜、小泉今日子などを生んだ伝説のオーディション番組ですよね。

しかも同志社大学の学生さんということで、インテリアイドルとして人気だったそうですね。

画像を見ると、ほんと可愛らしいお嬢さんです。

1985年以降、芸能界から離れていたものの、1990年代から、キャスターとして再登場し、現在は、司会、リポーター、キャスターとして主にNHKで活躍されています。

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【吹田明日香の母は日航機墜落事故の犠牲者だった!】

吹田明日香さんが人気絶頂だった21歳の時に悲劇が襲い掛かりました。

それは、1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故でした。

東京・羽田を18時に飛び立ち、大阪・伊丹に18時56分に到着予定であった日本航空123便が、群馬県御巣鷹山へと墜落。520名の犠牲者を出した日本の航空事故史上、最悪の墜落事故となりました。

この昭和最悪の事故を起こした旅客機に吹田明日香さんの母親が搭乗していたのでした。

この時、吹田さんの母親は46歳だったそうです。

吹田明日香さんは母親の晃子さんが25歳の時に生んだひとりっ子で、いつも一緒で仲良しの母娘は、周りから一卵性双生児と呼ばれるほどだったそうです。

母の晃子さんは、若い頃に宝塚歌劇団を目指していたものの、結婚を期にその夢をあきらめた過去があり、アイドルとして飛躍する娘の明日香さんを誰よりも応援していたのだそうです。

明日香さんが上京してデビューしたことで離ればなれになった母娘でしたが、毎日の電話は欠かさなかったのだそうです。1ヶ月の電話代は6万円にもなったのだとか。

母の晃子さんは、電話口でもいつも優しかったそうですが、明日香さんが弱音をこぼすと、「自分で決めたことでしょう。根性を出しなさい!!」と厳しく叱ってくれたのだそうです。

事故前日の日も明日香さんは母親に電話をしていましたが、この日は、明日香さんは休みで大阪の実家に帰っており、母親は親類を訪ねるため東京にいたのでした。

この時の電話が母親と交わした最後の言葉となってしまいました。

あの事故から今年で31年、当時のお母さんの年、46歳を軽く超えて52歳となった吹田明日香さんが当時のことについて語り始めました。

【吹田明日香 爆報フライデーで日航機墜落事故の裏側の新事実を告白!】

吹田明日香さんが事故の一報を受けたのは、事故から58分後の19時54分。知り合いからの電話でした。

日本航空123便が突如消息を絶ったことが判明したものの、この時点では事故の全容や搭乗者の安否は全く不明でした。

テレビニュースで目にした搭乗者指名の中に、母親の名前「スイタアキコ」がありました。

事故発生から16時間後の翌日午前11時頃、明日香さんは父親と共に用意されたバスで、現場の御巣鷹山がある群馬県に向かっていました。バスは搭乗者の家族で満席でした。

バスの中で生存者が見つかったというニュースを聞き、喜ぶ搭乗者の家族たち。

その日の18時過ぎ、群馬県藤岡市の小中学校の体育館に到着します。安否確認のため、家族は体育館で待機となったのです。

体育館内の室温は約30℃、冷房設備は無く、蒸し風呂状態の猛烈な熱さだったといいます。家族たちは熱さに耐えながらひたすら搭乗者の無事を祈っていたのでした。

一方、事故現場では、期待の破損が激しく搭乗者の捜索は難航していました。

でもそんな詳しい情報は搭乗者家族には一切、入ってきませんでした。

何もできないまま1日が過ぎていきました。

そして、翌日、8月14日。

遺体発見の知らせが続々と入ってくるようになります。

遺体の身元確認のため、警察の他、医師や医学系大学教授、赤十字関係者などが集合していましたあ、損傷が激しいため、彼らによる身元特定には時間がかかり、家族が顔や体の特徴を目で見て確認しなければいけないという残酷な現実が繰り広げられていました。

50代と思われる男性、、、

60代と思われるご夫婦、、、

小学生と思われる男子、、、

20代と思われる女性の確認をお願いします、、、

確認の結果、自分の家族では無いことも多く、家族以外の遺体を何度となく見なくてはいけなかったのでした。

事故から3日後の8月15日。

明日香さんの母親、晃子さんは未だ発見されていませんでした。

食事もろくに喉を通らず疲労を重ねていった明日香さんですが、母親が生きているという望みをずっと持っていたと言います。

事故発生から5日後の8月17日。

「およそ40代、黄色の服を着て、エメラルドの指輪をした主婦とみられる女性が発見しました。」

晃子さんと思われる女性が発見されたアナウンスがありました。

娘を気遣い、明日香さんの父は1人で確認に向かいました。

そして、

帰ってきた父親が手にしていたのは、母親、晃子さんのエメラルドの指輪でした。

最後まで一縷の望みを持っていた明日香さんに残酷な現実が突き付けられました。

母親が無くなった事を受け入れられない明日香さんは、アイドルの仕事を全てキャンセルし、毎日、喪服のような黒い服を着て、母の遺影を眺めては涙を流する日々を重ね、悲しみをぶつける先が持てず、母の陰を追い、母のお墓に通っていたのだそう。

そんなどん底の明日香さんに不思議な出来事が起こります。

呼び鈴がなる自宅の電話。

電話に出てみると、電話口から聞こえてきたのは母親の声だったのでした。

「明日香、私よ。」

「いつまでうじうじしてるの!根性を出しなさい!!」

このままじゃ駄目だ。お母さんに怒られちゃう。

天国からの母の声に勇気づけられた明日香さんは、休学していた同志社大学に復学し無事、卒業し、リポーターとして新たな道を歩み始めたのでした。

母親の命を奪った日航機墜落事故をきっかけに、社会で起きている現実を自分の口で伝えたいとの思いからリポーターとして多くの事件や事故を伝え続けたのでした。

「大切な人を亡くした自分だから伝えられることがある」

そんな思いからの決断だったそうです。

【まとめ】

最愛の家族を亡くして心に深い傷を負った遺族の中には、その後、立ち直ることが困難だった方も沢山いる中、吹田明日香さんを救ってくれたのは、亡くなったお母様だったのですね。

不思議な出来事をきっかけに、いつも自分ことを母親が見ていてくれる、がんばろう!そう思って生きてきたように思います。

リポーターとして立派に仕事をこなす明日香さん、プライベートでは自分も家族を持つに至った明日香さん。

母親の晃子さんはきっとその娘の姿を誇りに思っていることでしょうね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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