【真相】岡田有希子の自殺の新事実!遺書の俳優は峰岸徹や神田正輝でなく舘ひろしだった?(画像・動画有)

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昭和を代表するアイドルだった岡田有希子さんが1986年に自殺した真相の新事実が、12月2日放送のTBSテレビ「爆報THEフライデー」で明らかになると報じられました。

岡田有希子さんは当時18歳、デビューして3年目で、ポスト松田聖子と言われた人気絶頂のアイドル歌手でしたが、1986年4月8日、所属事務所のサンミュージックが入居している東京・四谷のビルの屋上から突然、飛び降り自殺をして亡くなりました。

岡田有希子さんの自宅からは、日記風のノートが発見され、そこには遺書として、憧れていた俳優の峰岸徹さんにふられたことが書かれてあったと報じられました。

ところが、その後、岡田有希子さんの自殺の原因は、神田正輝さんであるとの報道や、真相は舘ひろしさんだとも噂されました。

数々の報道や噂をまとめるとともに岡田有希子さんの自殺の真相に迫りたいと思います。

岡田有希子さんの画像や、当時のニュース動画もご紹介します。

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岡田有希子の経歴・プロフィール

岡田有希子さんは1967年8月22日生まれ。
本名、佐藤佳代。愛知県一宮市生まれ、名古屋市熱田区育ち。
身長155cm、体重44kg、スリーサイズは、86-58-84のEカップ。

1984年、「スター誕生!」を経て、シングル「ファースト・デイト」で歌手デビュー。
キャッチフレーズは「いつまでも一緒にいてね」「ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」、愛称はユッコ。
1985年、テレビドラマ「禁じられたマリコ」初主演(峰岸徹と共演)。
1986年、シングル「くちびるNetwork」でオリコンチャート初登場1位。

「くちびるNetwork」は当時、芸能活動休止中の事務所の先輩、松田聖子の作詞で、カネボウ化粧品のCMソングとなった。
同年4月8日、所属事務所サンミュージックの入居するビルの屋上から飛び降り自殺をする、享年18歳。

岡田有希子の自殺の真相と新事実 ニュース動画

岡田有希子さんが飛び降り自殺をしたのは1986年4月8日午後0時20分頃。
こちらは当日午後のワイドショーのニュース動画になります。

ニュース動画によると、岡田有希子さんは、当日の朝10時過ぎ、引っ越したばかりの東京・青山の自宅マンションで手首を切ってガス栓をひねって自殺を図りますが、発見され119番されて、北青山の病院に運ばれました。

岡田有希子さんの傷の具合は大したことないとして、サンミュージックの元専務の福田時雄さんが、病院から東京・四谷の事務所へ連れて帰り、社長室にて付き人を含む3人で話をしていましたが、福田専務が相澤社長からの電話のため席を外した隙に、岡田有希子さんは付き人の目を盗み、屋上へ行き飛び降りたのでした。

福田時雄さん曰く、岡田有希子さんは躁鬱の激しい子でしたが、仕事はコンサートやドラマにと忙しく、仕事が原因ではないとのことでした。

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岡田有希子の自殺の真相と新事実 遺書・日記に峰岸徹の名前

岡田有希子さんの青山の自宅からは「遺書」が見つかりました。
1度目の自殺の後、警察が発見し、その翌日、岡田有希子さんの両親に手渡されたそうです。

遺書には、「男優の峰岸徹さんにふられた・・・あこがれていたのに、最近冷たくされて悲しい・・・勝手なことをしてごめんなさい・・・」と岡田有希子さんが憧れていた俳優の峰岸徹さんの名前が残されていたと報じられました。

岡田有希子さんと峰岸徹さんは、その前の年から始まった連続テレビドラマ「禁じられたマリコ」で共演をしていました。

okadayukiko-minegishitoru
fc2.com

当時、峰岸徹さんは42歳、岡田有希子さんとは24歳差でした。

岡田有希子さんの訃報を受け、峰岸徹さんは「正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら、責任を感じます」とコメントしました。

サンミュージックの相澤会長は後に、亡くなる円実の岡田有希子さんの行動を公表しています。

岡田有希子さんは前日の深夜、世田谷区・成城の峰岸徹さんの自宅前に1人訪れ、朝方、泣きながら帰宅したのだそうです。当時の峰岸徹さんは元妻との間に小学生の娘がおり、新しい婚約者もいたそうです。

事務所に保管されていた日記ノーとには、岡田有希子さんの峰岸徹さんへの想いや、喜ぶさま、成就しない恋と知った苦悩が綴られていたそうです。岡田有希子さんは峰岸さんに憧れ、プラトニックな愛を持ち続けて自殺したというのです。

2008年、峰岸徹さんは肺がんにより亡くなっています(享年65歳)。

岡田有希子の自殺の真相と新事実 神田正輝・舘ひろし

それから数か月後、週刊サンケイ(1986年6月12日号)が、岡田有希子さんが想いを寄せていたのは、峰岸徹さんではなく、神田正輝さんであったと報じました。

岡田有希子さんは事務所の先輩である松田聖子さんを通じて神田正輝さんと知り合い、神田さん一筋で、神田正輝さんの子どもを妊娠するに至っていたというのです。

ところが、1986年4月7日(岡田有希子さん自殺の前日)、松田聖子さんは神田正輝さんの子どもを妊娠していることを発表しました(妊娠4カ月)。

神田正輝さんは松田聖子さんを選んだことをショックに岡田有希子さんは自殺をしたと言うのです。

更には、神田正輝さんの所属する石原プロモーションは当時、絶大な力を持っており、峰岸徹さんに岡田有希子さんの恋愛相手となることを依頼したのだそうです。

別の週刊誌では、岡田有希子さんの本当の相手は、峰岸徹さんでも神田正輝さんでもなく、舘ひろしさんだと報じられました。

生前、岡田有希子さんは好みのタイプとして、藤竜也さん、舘ひろしさんを挙げていました。
こちらは岡田有希子さんと舘ひろしさんが並んだ時のもの。「ザ・ベストテン」と思われます。

okadayukiko-tachihiroshi
twitter.com

岡田有希子さんは嬉しくてたまらないといった表情をしていますね。

松田聖子さんと神田正輝さんを通じて舘ひろしさんと知り合った岡田有希子さんは恋に落ちますが、舘ひろしさんは遊びだったことを苦に自殺をしたというのです。

果たして真相はどうなのでしょうか。

神田正輝さん(65歳)、舘ひろしさん(66歳)は両名ともご健在ですので、もしこのどちらかが真実だったとしても、さすがに「爆報THEフライデー」では放送できないのではと思われます。

結局、テレビではたわいもない新事実が出て、美談として放送される可能性が高いです。

「爆報THEフライデー」での新事実と詳細については、情報が入り次第、追記していきます。

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