津川雅彦の娘の真由子を誘拐した犯人の名前や動機とは?完全犯罪ならずの誤算に迫る!

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津川雅彦さんと朝丘雪路さんの一人娘の真由子ちゃんが誘拐され、身代金を要求される事件が1974年に起こりました。

深夜に自宅から連れ去られた5か月の愛娘、真由子ちゃん。
犯人は時代の盲点をついた完全犯罪を目論んでいました。

犯人の名前や動機とは、そして、津川雅彦さんが諦めるに至った親としての覚悟とは?

警察、報道、銀行の協力なくしては解決とならなかったこの事件の、42年間語られなかった真実が、6月19日放送の「世界ベスト・オブ・映像ショー」で明かされました。

詳細を見ていきましょう。

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津川雅彦・朝丘雪路の一人娘が誘拐される!

それは今から42年前の1974年、昭和49年のことでした。

当時の大卒初任給は、平均78,700円で、巷ではフィンガー5の「恋のダイヤル6700」が大流行していました。

津川雅彦さんは、前年の1973年に朝丘雪路さんと結婚をして、東京・世田谷の高級住宅地の邸宅で、人がうらやむ裕福な生活を始めていました。

津川雅彦さんは、1940年1月2日生まれの、現在76歳、当時34歳。

日本映画の父と呼ばれる牧野省三を祖父に、父親は俳優の沢村国太郎、母親は女優のマキノ智子、兄も俳優の長門裕之と、役者の家系に生まれた津川雅彦さんは、銀幕スターの道を駆け上がり、数々の映画に出演する人気俳優でした。

朝丘雪路さんは、1935年7月23日生まれの、現在80歳、当時39歳。

父親は日本画家の伊東深水、母親は料亭「勝田」女将のお嬢様育ちの朝丘雪路さんは、宝塚歌劇団を経て、バラエティ番組に進出し、そのユニークなキャラで大人気となっていました。

そんな忙しい2人の生活を支えるために、自宅では住み込みのお手伝いさんが数人働いていました。

1974年3月18日、2人の間に長女となる子供が誕生しました。

眉毛が濃いから真由子と名付けられた娘に恵まれ、家族は幸せの絶頂にありました。

しかし、その5か月後の8月に、とてつもない悲劇が起こりました。

昭和49年8月15日、午前0時、

いつも夜中まで起きていることが多い津川さんでしたが、その日に限って0時には眠り込んでしまっていました。

愛娘の真由子ちゃんの世話は、看護師が住み込みで行っており、その日も数時間置きにミルクを飲ませ、寝かしつけていました。

昭和49年8月15日、午前2時、

津川家に男が忍び込み、真由子ちゃんを誘拐していきました。

「旦那様?」

男の後ろ姿をうろ覚えで眺めていた看護師は、津川さんが真由子ちゃんを連れて行ったのだと思い込んでしまいました。

其の30分後、胸騒ぎで目を覚ました看護師は、真由子ちゃんがいなくなっていることに気づき、津川さんが真由子ちゃんを連れだしたのか確認しにいきました。

真由子ちゃんの姿は、津川さんの寝室にはありませんでした。

家中のどこを探しても真由子ちゃんの姿はなく、津川さんを始め全員がパニックになりました。

そして、津川さんは、戸締りしたはずの玄関のドアの鍵が開いていることに気づきます。

ちかくの交番に真由子ちゃんが誘拐されたことを言い、

津川さんは、裸足のまま、夏だったため上半身には何も着ない状態のままで、自分がどんな格好かも気づかず探し回り、交番に真由子ちゃんが誘拐されたことを連絡したのでした。

すぐに、警視庁と世田谷署の合同捜査チームが結成され、犯人との闘いがはじまりました。

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誘拐犯人からの身代金の金額と受け渡し方法とは?

昭和49年8月15日午前4時、

津川家の電話が鳴り響きました。

普段通りお手伝いさんが電話にでると、犯人からの電話だったため、警察が津川雅彦さんのふりをして電話に出ました。

犯人:「子供を預かっている。」

今、どこにいるんですか?(津川さんになりすました警察)

犯人:「そんなこといいんだ。こっちも命がけなんだから。無事だよ。子供はすぐそばにいる。警察に知らせたか?」

いやそんなことはしません。とにかく子供を返してください。(津川さんになりすました警察)

犯人:「知らせたら二度と子供に会えないと思え。」

一体どうすればいいんですか?(津川さんになりすました警察)

犯人:銀行に振り込むことは出来るか?

じゃあ、今から言う口座にふりこんでくれ。

荒川区緑町4-19
ナカムラジュンイチ
第一勧業銀行 新宿支店
口座番号 1326387

いくら振り込めばいいんですか?(津川さんになりすました警察)

犯人」「500万円。明日の昼12時まで時間をやる。それまでに用意しろ。」

そういって電話は切れました。

犯人との電話は約6分の長さでしたが、犯行から2時間後の午前4時と、予想以上に犯人からの身代金要求の連絡が早かったため、逆探知の準備が出来ず、何も手がかりはつかめませんでした。

犯人は身代金の受け渡しに銀行の振り込みを要求してきたのでした。

当時の昭和49年には、銀行口座は偽名で簡単に作ることができました。
今のように身分確認をして銀行口座を作るのではなく、誰の名前でも自分で勝手に名前を作って口座を作ることが出来たのでした。

つまり、犯人が伝えてきた住所も名前も本物のはずがありませんでした。

さらに、第一勧業銀行がキャッシュディスペンサーのサービスを開始したのは事件の前年の昭和48年だった。

当時は、キャッシュディスペンサーを利用して、全国のATMから現金を下した時に、どこのATMであるかを瞬時に特定するシステムはまだありませんでした。

第一勧銀の口座から引き下ろせるキャッシュディスペンサーの設置場所は、全国の支店303か所の自動支払機120台で、利用者は既に100万人を超えていました。

最新のシステムを悪用すれば、犯人は身代金をいつどこでおろすかわからないのでした。
手がかりも見つからなければ、逮捕のチャンスも見当たりませんでした。(つぎのページへつづく)

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