舛添要一の子供5人の年齢は?嫁3人に愛人2人のとんでも「結婚歴」と「愛人歴」(画像)

政治資金の公私混同問題で揺れている舛添要一東京都知事。

プライベートに目を向けてみると、舛添要一東京都知事は、過去に結婚を3回しており、嫁(と呼ばれた人も含め)3人、未入籍で婚外子を生ませた愛人が2人、子供は5人いるんだそうです。

子供の年齢は、1988年生まれの障害を持つ長男28歳から、現在の嫁の雅美さんとの間の、戸籍上では次男にあたる龍之介くん、13歳までとなっています。

今回は、そんな舛添要一東京都知事の、フランス人女性から始まった「結婚歴」と「愛人歴」から子供についても時系列で見ていきたいと思います。

舛添要一 最初の結婚はフランス人女性 子供はなし

舛添要一氏が最初に結婚したのは1978年、30歳の時でした。1人目の嫁はフランス人の女性でした。

舛添要一氏は1971年に東京大学法学部政治学科を卒業後、1973年にはフランスのパリ大学の客員研究員に、1976年にはスイスのジュネーブ国際研究大学院客員研究員となるなどヨーロッパを巡っていました。その頃、出会ったフランス人の女性と1回目の結婚をしています。

結婚の翌年の1979年に舛添要一氏は日本に帰国し、31歳の若さで東京大学教養学部政治学助教授に着任します。ところがプライベートでは、1981年にフランス人女性の嫁とは離婚をしています。

舛添要一 2回目の結婚相手は片山さつき 子供はなし

舛添要一氏の2回目の結婚は1986年。舛添要一氏は38歳でした。
結婚相手は、現参議院議員の片山さつきさんです。
舛添要一氏の2人目の嫁となった片山さつきさんは当時27歳で大蔵省の女性キャリアでした。2人はお見合い結婚でした。

結婚生活はわずか2年3ヶ月で調停離婚となりますが、実質的に舛添要一氏と片山さつきさんが同居していたのは半年もなかったのだそうです。

結婚生活が半年と持たず離婚となったのは、本当の舛添要一氏のことを知らずに結婚したことだったと片山さつきさんは後に語っています。

当時の片山さつきさんは、お見合い結婚の相手とは、特に恋愛の期間がなくても結婚するものだと思っていたのだそうです。舛添要一氏は、片山さんより歳も一回り上で、片山さんが卒業した東京大学の助教授、さらには、結婚相手として紹介してくれたのは、大蔵省OBの政治家でした。

更に、舛添要一氏は、結婚前に片山さつきさんにこう言っていたのだそうです。

「自分の同期や教え子には官僚がたくさんいて、生活パターンは熟知している。いくら遅く帰ってきても構わない」

大蔵省キャリアとして忙しい毎日を過ごしている片山さつきさんは、これまでも2人とお見合いをしていたのですが、相手は2人とも、片山さつきさんが仕事で帰りが遅くなることがあるとわかると、結婚とならなかったのだそうです。

それに対して、舛添要一氏は理解があり、仕事をしている片山さつきさんのことを尊重してくれるものだと思ったのだそうです。

ところが実際の舛添要一氏はそんな人ではありませんでした。
よかったのは最初の2ヶ月だけで、その後は、片山さつきさんが遅く帰宅すると怒鳴って文句を言うようになり、物を投げつけるようになったのだそうです。

舛添要一氏に恐怖を感じた片山さつきさんは、着の身着のままで埼玉の実家に戻ったことこともあるほどだったとか。

結婚3か月後には、片山さつきさんは離婚について弁護士に相談をします。

すると、弁護士の調査で、舛添要一氏には愛人がいて、愛人の女性が妊娠中であることがわかったのだそうです。

一日でも早く離婚したい片山さつきさんに対し、舛添要一氏は世間体を考えて蚊、離婚の話し合いに応じてくれなかったのだそうです。

結局、正式に離婚が成立したのは、結婚してから、2年3ヶ月後となったのでした。

舛添要一 愛人Aさんは東大の大学院生 子供(長男)

舛添要一氏が片山さつきさんと婚姻中に不倫をして妊娠させた愛人Aは、東大の大学院生でした。

当時、東京大学の助教授だった舛添要一氏は、指導教官という立場で知り合い、「(片山さんとは)別れるから」「もうほかの人とは結婚しないから」「(片山さんと)離婚したら必ず籍をいれるから」と半ば強制的にAさんと付き合い始めたのだそうです。

ところが、Aさんが1988年に男の子を出産すると、舛添要一氏は結婚の約束を反故にし、子どもの認知も2年にわたって拒み続けたのでした。

しかも、舛添要一氏はAさんと同時並行で、他の女性とも不倫をしており、子どもも生んでいることをしります。

Aさんは、子どもが3歳の時に舛添要一氏に見切りをつけ、養育費の取り決めをして別れます。

その男の子には、重度の自閉症があり、統合失調も併発していて、成人した今(28歳)も週5回は病院に通院しているんだそうです。

別れた後、舛添要一氏はただの1度も自分の子どもに会いに来ることはなかったそうです。

更には、2012年に舛添要一氏は、Aさんに子供への扶助料の減額を要求して来ました。

2012年といえば、、舛添要一氏は国会議員で年収は約1700万円ありましたが、自身の給料は「舛添政治経済研究所」から支給された基本給である10万円、不動産などの資産は妻名義のため0円と言ってきたんだそうです。

舛添要一の愛人は他にもいた愛人B、C、D 2人の子供(長女、次女)

舛添要一氏には、Aさんと同時並行でつき合っていた愛人Bがいました。

愛人Bさんにも舛添要一氏は同じ手口でアプローチをしたのだそうです。

愛人Bさんは1989年頃に女の子(現在27歳)を出産します。更にはこの同時期に舛添要一氏は他にも2人の女性、愛人C、愛人Dとと付き合っていたのだそうです。

舛添要一氏と愛人Bさんとの付き合いは長く、舛添要一氏が3回目の結婚をする1996年の前年の1995年にも女の子を出産していますが、2人は入籍するには至りませんでした。

舛添要一 現在の3人目の嫁は雅美夫人 2人の子供(三女、次男)

そして、舛添要一氏の現在の嫁が、舛添雅美さん(旧姓露木)です。

舛添要一氏と雅美さんの出会いは1989年で、舛添要一氏の東大助教授時代ですので、愛人Aさん、Bさん、Cさん、Dさんと付き合っていたころになりますね。

舛添雅美さんは、舛添要一氏の別荘のある神奈川県湯河原出身で、聖心女子大学を卒業後、1989年に美術館学芸員として働きながら、舛添要一氏の私設秘書も務めていたのだそうです。

その縁で、7年の交際を経て1996年に結婚をしていると報じられていますので、他の愛人と同時期の1989年から交際はスタートしていたようですね。

1989年は舛添要一氏と片山さつきさんの離婚が成立した年ですので、離婚成立後に知り合ったということを強調したかったのかもしれません。

結局は、その時期には愛人が少なくとも4人いたことがばれちゃっていますからね。

舛添要一氏と雅美さんの間には、2000年に長女(舛添氏の戸籍上は三女)の果連ちゃん(現在16歳)、2003年に長男(舛添氏の戸籍上は次男)の龍之介くん(13歳)の2人の子どもがいます。

雅美夫人は2007年のインタービューで、舛添要一氏の子煩悩ぶりをこう語っています。

「子どもたちへのおやすみのキスは強制。お風呂も一緒に入りたいので、いつも必死で帰ってきます。」

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ちなみに、果連ちゃんと龍之介くんが通っている中学校・高等学校は、慶應義塾中等部・高等部との専らの噂です。

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舛添要一東京都知事の華麗なる「結婚歴」と「愛人歴」と5人の子供について見きました。

プライベートなことではありますが、女性関係やこれまで付き合ってきた方の意見を聴けば、その人がどんな人であるのかが見えてくるかなと思います。

つき合う女性が多いとしても、お相手の女性やその子供が幸せなのであれば、さすが舛添さんとなるところですが、どうやらそうではなさそうです。

片山さつきさんは、舛添氏が結婚前に話した理解ある言葉とあまりに変え離れた考えと暴力の結果、2人の実質の結婚生活は2ヶ月ほどしかつづきませんでした。

愛人Aさんは、結婚の約束を反故にされ、障害のある子供もを1人で育てています。舛添氏は子供に優しい言葉をかけてくれることも会いに来てくれることもなく、反対に扶養費を減額しようとさえされています。

この愛人Aさんは、東大の大学院生だったわけですから、頭もよく前途有望な学生だったはずです。それがどうでしょう。今は公営住宅に住み、パートをしながら、自閉症の28歳の子供の世話をしながらくらしているっていうじゃないですか。舛添要一氏は、有能な1女性の未来をも奪ったわけです。

今回、舛添要一氏の女性関係が週刊誌をにぎわし、改めて、舛添要一氏がこれまで何をしてきたのか、プライベートで見せる本当の性格や人物像が浮き彫りとなりましたね。

コメント

  1. 知ってはいたけれど、本当に人生ハレンチ人間だ。
    都知事辞任の自身 棚に上げて 小池都知事の批判は見苦しいのてやめてほしい。

  2. ふーん!!これがあっぱれ舛添の種馬人生ですね!!凄すぎ、つうか、ひど過ぎ、ツウか。
    片山さつきさんと、雅美さんが可哀想。

  3. 何で自民党は、こんなどうしょうもない奴を知事に押したんでしょうか?

    人気優先の政策無しの気風がはびこっているのを変える様に考え直し欲しい。