富岡茂永の手紙(遺書)の流出全文画像!息子を宮司に要求や嫁へのいじめ、クーデターの詳細とは?

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富岡八幡宮の富岡長子宮司が、富岡茂永容疑者と嫁の真理子容疑者に襲われて亡くなった事件で、富岡茂永容疑者が犯行直前に遺書のような手紙文書を送っていたことが明らかとなりネットにその全文画像が流出しています。遺書には、息子の富岡秀之氏を富岡八幡宮の宮司に迎える要求や、姉や母による嫁へのいじめやクーデターで辞めさせられたことの詳細、富岡長子さんの10代の頃からの素行や学歴、結婚や子供についてなどが書かれていました。富岡八幡宮関係者複数に届けられた遺書と思われる手紙の画像とその内容をまとめました。

また、12月12日には、富岡茂永容疑者と真里子容疑者が住んでいたマンションの部屋から、12月1日付で書かれた真里子容疑者の遺書が見つかったことが報じられました。富岡茂永容疑者と真里子容疑者は、富岡八幡宮から30メートルほどの距離にあるマンションに隠れ住み、部屋から双眼鏡などを使って姉の長子さんのことを監視していたと見られています。
遺書には、今回の犯行のことやその後、自殺することなどが書かれていて、計画的犯行であったことが明らかとなっています。

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富岡茂永の手紙(遺書)の全文画像と内容まとめ

富岡茂永容疑者が犯行当日に富岡八幡宮関係者宛てに投函した遺書と思われる手紙は、事件翌日の12月8日の消印で、12月9日に差出人宛てに届きました。

ワープロの文字で、A4サイズの用紙8枚にわたって綴られた内容には、姉の富岡長子さんに対する恨みや、2001年に富岡茂永容疑者が宮司を辞めさせられた姉や父によるクーデターの背景や理由が淡々と書かれていました。

■姉・富岡長子さんの10代~20代について


富岡長子さんは中学時代から素行が悪く、中学校を卒業後は高校に行かず錦糸町の喫茶店などでアルバイトをしながら家出同然の生活をしていたそうです。20歳の時に、喫茶店の客であった男性と結婚して子供をもうけますが、子供を捨てて家に戻ってきますが、中卒の富岡長子さんを雇ってくれる会社はなく、父親で当時宮司であった富岡興永氏が神社の経理の仕事に付かせます。名目上、神社の事務員となった富岡長子さんは、仕事は殆どせず、大検の学校や、大学夜間部に通っていたそうです。

■富岡茂永容疑者の大学や経歴


一方、富岡茂永容疑者は、大学を卒業後、皇学館大学の神道学専門科を終了し、富岡八幡宮の権禰宜となります。その後、禰宜、権宮司へと昇進します。当時、宮司を務めていた父親の富岡興永氏の躁うつ病が悪化したことから、権宮司である富岡茂永容疑者が実質上、神社の運営を任されることになったのだそうです。
身内ということもあり、富岡茂永容疑者は姉に対し肩書を付けてあげたり、給料を多めに出したりしたそうですが、その実は、姉の立場や、経理の立場上知り得た富岡茂永容疑者の弱み(交際費)を利用され、強要や脅迫を受けていたと告白しています。
1994年夏頃から宮司で父親の富岡興永氏の躁うつ病が悪化したため、表向きは高血圧で宮司の重責に耐えられないと発表し、引退し、富岡茂永容疑者が宮司に就任することになります。
1995年、3ヶ月の宮司代務者を経て、同年3月に33歳で正式な宮司に就任します。
この頃、富岡茂永容疑者の元へ「父親を病院に閉じ込め、神社の乗っ取りを企み・・・」との怪文書が出回るようになります。怪文書の出どころは姉だと推測したそうです。

■神社の財産を自由に使えなくなった父と母が不満を抱く

父親の富岡興永氏はそれまで神社の財産で株の売買をしたり、骨董品を購入したりしていたといいますが、富岡茂永容疑者が宮司に就任後は禁止したのだそうです。母親も私的な買い物を経理の富岡長子さんを通して神社の経費として処理していましたが、茂永容疑者の許可を必要としたため、不満に思うようになったということです。そして、次第に父親、母親ともに宮司である茂永容疑者に内緒で、長子さんを通して神社の経費として処理するようになったとのこと。茂永容疑者は多忙だったため、黙認してしまったそうです。

■豪華社宅の真相

富岡茂永容疑者が宮司就任中に境内に豪華な社宅が建設されました。
1・2階が独身寮で、3・4階が富岡長子さん専用のスペースで、3・4階は専用エレベーターが付いた贅沢さで、150平米の広さに駐車場もあり、建物だけで1億2千万円、土地代を含めると2億5千万円になるそうです。
この社宅を建設したきっかけは、姉の富岡長子さんが、青山学院大学の教授と結婚を決めたため、夫婦用に建ててほしいとせがまれたのだそうです。社宅が建設後、結局、長子さんは教授とは入籍せず、長子さんだけが3・4階に暮らすことになったそうです。
なぜ、そんな要求を茂永さんは聞いたのかというと、少年時代に暴行容疑で逮捕されたことがああるそうで、家庭裁判所の審判では無罪となったものの、それをネタに強要されたと告白しています。

■クーデターの詳細

「私の最大の失敗は、父の興永を信用して責任役員にした事でした。まさか長年父を補佐し、お家の危機を救った私を騙し、クーデターを画策するなど夢にも思っていなかったからです。」

富岡茂永容疑者がそう語り始めたクーデターとは、茂永容疑者を宮司から辞めさせる画策でした。
その予兆は、夜間大学で教員免許を取得した後、教職に就くと言っていた富岡長子さんが、卒業後は、教職には就かず、国学院の夜学で神職の資格を取りに通い始め、卒業と同時に禰宜にするように要求してきたことや、父親の興永氏もそうするように進言したことに見られたといいます。
実習生から、出仕・典仕・権禰宜・禰宜・権宮司と昇格してきた茂永容疑者には、その要求は到底受け入れられないものだったといいます。

そして、富岡茂永容疑者が36歳の時に、茂永氏を誹謗中傷する怪文書が出回ることになります。
茂永氏は知り合いの警視に相談しますが、姉の富岡長子さんだけでなく、両親も噛んでいると推測されることから、長子さんだけでなく両親も名誉棄損・逮捕されることになれば、神社の名前に傷がつき、家族が崩壊してしまうと考え、茂永氏は被害届を出すのを諦めたのだそうです。
その日から、茂永容疑者と嫁となったばかりの真里子容疑者対、姉の富岡長子さんを中心として、妹の千歳さん、父親の興永氏と母親、当時の禰宜等との対決が始まりました。
富岡茂永容疑者の少年時代の逮捕歴に始まり、素行調査の結果や、経理伝票などが怪文書として大量にばらまかれるに至ります。
怪文書について、姉の長子さんと両親は、神社庁に出向き、謝罪と怪文書の内容は事実であると流布し、健康を回復した父親の興永氏を宮司に戻したいと持ちかけるに至ったと言います。

膠着状態が3ヶ月ほど続いた後、富岡茂永容疑者は、円満解決に持ち込むから責任役員宛てにダミーの辞表を書いてもらえないかと当時の崇敬会議長から持ちかけられ、辞表を書くに至ります。
すると、その辞表は責任役員等に受理され、その日の内に、茂永氏が辞任したとの噂が周囲に拡散され、辞表が本物とされてしまいます。神社本庁宛ての辞表を書いてないものの、茂永容疑者は、嫁が親族からいじめを受けていることも考慮にいれ、一定の条件で円満退職に応じるに至ります。

■富岡茂永の嫁へのいじめとは

遺書によると富岡茂永容疑者の嫁の真里子さんは、姉の長子さん、母親の聰子さんから親族として認めてもらえなかったと綴っています。
その理由は、嫁の真里子さんの兄が車いすに乗った障害者であったことだったとのこと。それに加え、部落民でもない嫁の実家に対し、「あそこの家は部落民なのよ」との言いがかりもつけられていたのだそうです。毎日、姉の長子さんやその妹の千歳さん、両親にいじめられている嫁の今後を考えたことも、騙された形となったものの、宮司辞任を応じてしまった理由であったと語っています。

辞任に応じた茂永容疑者に待っていたのは予想外の事態でした。

円満退職に応じる際に約束した一定の条件が守られず、茂永容疑者は次々と裁判に訴えられ、醜聞を週刊誌に欠かされ、社会で生きていけないまでにされてしまったのでした。

富岡茂永容疑者が宮司を辞任する際には、退職金が1億2千万円、年金として毎月30万円、そして不動産からの収入も入ることになっていたはずですが、遺書では約束の条件は守られなかったとのことですので、どこまでが果たされたのかは不明となっています。

堪忍袋の緒が切れた茂永容疑者は、2006年の1月に年賀状代わりに脅迫めいたはがきを姉宛てにおくりますが、それがきっかけで脅迫容疑で逮捕され、逮捕されたことが大々的に報道されることになり、その社会的地位を更に失うこととなってしまいました。

クーデター劇について、茂永容疑者は遺書の中で、「私は、私を罠にはめた卑劣な奴らを絶対に許しません。」と記しています。

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富岡茂永の遺書(手紙)の全文画像と内容まとめつづき

富岡家の跡継ぎとして息子の富岡秀之を主張【顔画像】

富岡茂永容疑者には最初に結婚した嫁との間に一男一女をもうけています。
息子の富岡秀之さんと、娘の富岡千草さんです。
息子の富岡秀之さんは、父親の茂永容疑者が宮司を辞任した際、高校生でしたが、高校卒業後は、昼間は富岡八幡宮でアルバイトをし、夜は国学院大学の神道科2部に進学し、祖父母の興永氏らに可愛がられていたといいます。
ですが、宮司の座を狙う姉の長子さんには、甥の秀之さんは脅威の存在でしかなかったといいます。
息子の秀之さんが大学を卒業後、宮司になれる資格を取得したにも関わらず、姉の長子さんは秀之さんを神職に就かせずアルバイトのままで冷遇し続けたのだそうです。
クーデターの共犯で宮司と宮司夫人に復帰することができた祖父母の興永氏らは長子さんには逆らえない立場となり、孫の秀之さんについてはなすすべがなかったといいます。
2010年、興永氏が体調不良で宮司を引退し、姉の長子さんが宮司代務者となった最初の仕事は、甥の秀之さんの永久追放だったといいます。秀之さんの勤務状況をつぶさに記録させ、勤務状況が悪いとして懲戒解雇としたのだそうです。

こちらが息子の秀之さんの顔画像になります。

秀之さんは富岡ウルフと名乗り、パチンコ・パチスロ神社YouTuberをしていたことがあるそうです。現在は、馬橋稲荷神社の権禰宜です。

富岡茂永の遺書(手紙)での要求4項目とは

遺書の手紙の中で富岡茂永容疑者は次の4項目を要求しています。

1.姉の富岡長子さんを永久に富岡八幡宮から追放すること

2.息子の富岡秀之さんを富岡八幡宮の宮司に迎えること

3.クーデターに参画した権宮司への具体的対処

4.今後は、息子の富岡秀之さんと、母親の富岡聰子さん、息子の務める馬橋稲荷神社の禰宜の4人で決めていくこと

そして、「私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます。」と記しています。

富岡茂永容疑者が残した遺書の手紙には、今回の犯行についての声明はありませんでした。
もしかしたら、茂永容疑者は亡くなることまでは考えていなかったのかもしれません。

ツイッターには、富岡茂永容疑者の共犯で嫁の真理子容疑者が、犯行翌日の12月8日に、居酒屋の予約を入れていたことも明らかとなっています。

積もり積もった恨みから犯行がエスカレートしてしまったのでしょうか。
当事者が亡くなった今となっては真相は闇の中となってしまいました。



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