富岡茂永と富岡長子【顔画像】姉弟の宮司争いの背景とは?富岡八幡宮の神社本庁離脱が引き金か

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由緒ある富岡八幡宮で、実の弟の富岡茂永容疑者とその嫁の富岡真里子容疑者に襲われて亡くなった女性宮司の富岡長子さんの事件について、その背景には富岡長子さんと富岡茂永容疑者の姉弟による20年以上にわたる宮司を巡る争いがあったこと、富岡茂永容疑者が犯行前に遺書(全文画像有り)の手紙を書いていたこと、真里子容疑者が12月1日付で犯行やその後に自殺することなどを記した遺書を隠れ住んでいた部屋に残していたことが報じられています。

素行不良が問題視されていた弟の富岡茂永容疑者と、富岡長子様と言われる権力を持ち、年齢が58歳にしては若作りに見える風貌の姉との間に何があったのか。

姉弟の仲の悪さは地元では有名だったそうですが、今年2017年9月に、富岡八幡宮が神社本庁から離脱し、10月に富岡長子さんが正式に宮司に就任したことが、富岡茂永容疑者が嫁と計画的犯行に及んだ引き金となったと見られています。富岡家に関わる人物を富岡長子宮司、富岡茂永容疑者、息子の富岡秀之さんの顔画像とともに、その経緯や動機を遺書の内容と合わせて追ってみました。

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富岡茂永と富岡長子の姉弟の宮司争いの背景と動機とは?【顔画像】

深川の八幡様として親しまれている東京・江東区にある富岡八幡宮で、まさかの事件が起こりました。

12月7日の午後8時半頃、富岡八幡宮のトップで宮司の富岡長子さん(58歳)と、実の弟で、前の宮司を務めていた富岡茂永(56歳)と、その嫁、富岡真里子(49歳)が亡くなった事件で、当初は通り魔かと騒がれていましたが、防犯カメラなどから、富岡茂永容疑者と嫁の真里子容疑者が待ち伏せをして、姉の富岡長子宮司を襲った犯行であること、そして、犯行を成し遂げた後、富岡茂永容疑者は嫁の真里子容疑者と共に自ら亡くなることを選んでの自害であることが報じられました。

実の姉を襲うに至った富岡茂永容疑者のこれまでとその動機、犯行当日に投函された手紙(遺書)や真里子容疑者が残した遺書についてまとめました。

まずは富岡家の人物をおさらいしていきたいと思います。
1.富岡長子(富岡八幡宮宮司・被害者)
2.富岡茂永(前の富岡八幡宮宮司で長子の実の弟・犯人)
3.富岡真里子(富岡茂永の嫁で共犯)
4.富岡秀之(富岡茂永の息子)
5.富岡千草(富岡茂永の娘)
6.富岡興永(富岡長子と茂永の父親で前の富岡八幡宮宮司)
7.富岡聰子(富岡長子と茂永の母親、興永氏の嫁)
8.小林千歳(富岡長子の妹・旧姓、富岡千歳)

1.富岡長子の経歴プロフィール【画像】

2017年10月、富岡八幡宮宮司となる。年齢58歳。
58歳にしては若作りな風貌をしていると話題になった富岡長子さんの画像を見て、今年2017年4月に、出資法違反でタイ警察に逮捕された自称38歳の山辺節子容疑者(実際の年齢は62歳)を思い出された方も多いのではないでしょうか。

茂永容疑者が残した遺書によると、富岡長子さんは、中学時代から素行が悪く、中学を卒業すると高校には行かず、錦糸町の喫茶店でバイトをしながら家出同然の暮らしをしていたといいます。
20歳の時に喫茶店の客だった男性と結婚し、子供をもうけますが、その後、子供を捨てて実家に戻ってきたのだそうです。
中卒の姉を雇ってくれる会社もなく、長子さんは富岡八幡宮の経理の事務を手伝うことになります。そして、大検の学校へ行き、青山学院大学の夜間部に入学し教職免許を取得しますが教員とはならず、大学を卒業後は、国学院大学の夜学に通い神職の資格を取り、富岡八幡宮の神職になります。
富岡八幡宮の経理の事務を手伝うことになったことで、富岡八幡宮に膨大な資産やお金の流入があることを知り、宮司になることを決めたのではと茂永容疑者は思っていたようです。

姉の長子さんは茂永容疑者が宮司時代から神社のお金を使うことを要求し、青山学院大学を卒業前に知り合った教授と結婚をするため、当時、宮司であった茂永容疑者に夫婦用の自宅を建てるよう依頼をしています。
富岡茂永容疑者は、1・2階を独身寮、3・4階を長子夫婦用とする豪華な社宅を境内に建設しますが、長子さんは、その教授とは結局、入籍せず、自分だけが住むこととなります。2017年には境内に神社本庁に許可なく豪華な洋館の自宅を建設し、1人で住んでいました。
飲食店での豪遊もしており、1つのお店に2週間に1回、多いときで1週間に1回訪れ、100万円以上を使うこともあったと言います。

2.富岡茂永の経歴プロフィール【画像】

自称個人投資家、56歳。
学生時代のあだ名は、ボンボンから「ボンちゃん」で、勉強もスポーツもできるほうではなく、お金を持っていたためいじめの対象になっていたとのこと。駒沢大学進学後は、お金に物を言わせ、外車のリンカーンを乗り回し派手な振る舞いになっていったとのこと。
駒沢大学を卒業後、神職の養成を主とする皇学館大学の神道学専門科を卒業し、富岡八幡宮の権禰宜となり、禰宜、権宮司と昇進し、躁うつ病が悪化した父親に代わりに事実上、神社の運営を任されており、1995年に宮司の地位に就くことになりましたが、姉の長子さんと父親らのクーデターで宮司の座を辞めさせられます。
プライベートでは最初の結婚で息子(秀之)と娘(千草)の2人の子どもを授かりますが離婚し、2回目の結婚も離婚となり、その後に結婚したのが今回、共犯となった真里子容疑者でした。
宮司を辞任後、社宅を追い出された茂永夫婦は、東京・上野や福岡・宗像市などを転々としますが、最近になって、東京・江東区に戻り、富岡八幡宮から30メートルほどの距離のマンションに隠れ住んでいました。部屋からは双眼鏡が見つかっていて、姉の長子さんの行動を監視していたと見られています。
少年時代に暴行容疑で逮捕歴あり(家庭裁判所で無罪判決)。
2006年、姉への脅迫容疑で逮捕され罰金刑となる。

3.富岡真里子(富岡茂永の嫁で共犯)

49歳。元ホステスで富岡茂永容疑者の愛人から3番めの嫁となる。
2002年、富岡八幡宮宮司家族から結婚差別発言を受けたとして謝罪と賠償を求め、損害賠償請求訴訟を起こす。
2005年、週刊実話に富岡八幡宮の土地トラブルを内部告発する。
旦那の茂永容疑者と隠れ住んでいた江東区のマンションの部屋からは、真里子容疑者の書いた遺書が見つかっています。遺書は12月1日付で、今回の犯行についてと、その後自殺することが書かれていました。

4.富岡秀之(富岡茂永の息子)の経歴プロフィール【画像】

富岡茂永容疑者の最初の結婚の時の息子が富岡秀之さんです。
地元の高校を卒業後、昼間は富岡八幡宮でアルバイトをしながら、国学院大学の神道科2部に進学し卒業。明階という宮司になれる資格を取得したものの、当時、既に権力を握っていた姉・富岡長子さんは、秀之さんを神職とさせず、アルバイトとして礼遇したと言います。
2010年に富岡長子さんが宮司代務者となった後、勤務状況が悪いことを理由に富岡八幡宮を懲戒解雇の処分とされます。裁判で争ったものの、敗訴し懲戒解雇が確定し神社の社宅から追い出されたとのこと。
現在、馬橋稲荷神社の権禰宜。パチンコ・パチスロ神社YouTuberの富岡ウルフ氏と同一人物と思われる。

5.富岡千草(富岡茂永の娘)

富岡茂永容疑者には最初の結婚の嫁との間に娘もいました。
富岡長子さんが宮司代務者となった後、息子の秀之さんと同じく社宅を追い出され、新宿や上野でホステスをしていましたが、やくざとの交流が判明し、父親の茂永容疑者は勘当したとのことです。

6.富岡興永(富岡長子と茂永の父親で前の富岡八幡宮宮司)

富岡長子さん、茂永容疑者の祖父、富岡盛彦宮司が退任後、1974年から宮司となる。
神社本庁の総長であった祖父と比べて評判が悪く、ギャンブル好きで株の売買で億単位の損失を出したことも。
躁うつ病の持病を持っていた。
2012年7月永眠。

7.富岡聰子(富岡長子と茂永の母親、興永氏の嫁)

丹後一宮「元伊勢籠神社」81代海部宮司の娘

8.富岡長子の妹、小林千歳

内部告発された富岡八幡宮の借地権120坪を当時の宮司で父親の富岡興永氏から、長子さんとともに相続する。

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富岡茂永と富岡長子の姉弟の宮司争いの背景と動機まとめ【顔画像】

■1995年まで
富岡長子さんと富岡茂永容疑者の父親の富岡興永氏が富岡八幡宮の宮司を務めていました。

■1995年~2001年
1995年、父親の富岡興永氏は、富岡八幡宮の宮司を息子の富岡茂永容疑者に移譲しました。
ところが、1990年後半の終わりごろから、弟の富岡茂永容疑者に対して怪文書が出回るようになります。

⇒怪文書の内容とは?
富岡茂永容疑者の金の使い方が荒いだとか、女性関係についての内容で、具体的には、宮司となった富岡茂永容疑者は、富岡八幡宮へのお賽銭など3億円ほどのお金を手にしますが、そのお金でアメリカ・ラスベガスのカジノで豪遊をしたり、銀座や錦糸町のクラブ通いをして嫁の他に愛人を作ったなどといった怪文書だったとのことです。
富岡茂永容疑者は女性関係にだらしない男性で、最初の結婚は、フィリピンクラブ通いが嫁にバレ、愛想を尽かされ離婚し、2回目の結婚後はしばらくはおとなしくしていたものの、次第にクラブ通いを始め、嫁の他に愛人を作ったのでした。

⇒愛人が現在の嫁で共犯者の真里子だった
富岡茂永容疑者は当時の嫁と離婚し、この愛人と結婚をします。この愛人が今回、富岡茂永容疑者の共犯となった真里子容疑者でした。
富岡茂永容疑者と真里子容疑者は、結婚後は、富岡八幡宮境内の社屋に住んでいましたが、富岡茂永容疑者が宮司を辞めさせられた後は、東京・上野や福岡などを転々とし、お互い離婚と結婚を繰り返していたといいます。7年前に3度目の結婚をして今に至っていました。

■2001年~2010年
2001年、富岡茂永容疑者は宮司の職を辞任させられ(事実上のクビ)、父親の富岡茂永容疑者が再び、宮司の職につきます。
富岡茂永容疑者の金使いの荒さや男女関係について、神社本庁を通じで問題が表面化すると、富岡家が神社にいられなくなるとして、息子を辞任させることで穏便に事を済ませた結果となったようです。

⇒怪文書は姉の富岡長子の仕業だった?
宮司の辞任を余儀なくされた富岡茂永容疑者は後の取材で、愛人を作ったことをその当時の嫁に告げ口したのは、姉の富岡長子さんの仕業だったと思っていると告白しています。

その理由として、富岡長子さんが1999年に神主の資格を取った際、宮司である富岡茂永容疑者にいきなり姉を大幹部にすることを求められたのだそうです。富岡茂永容疑者はその要求を断ります。そのことで姉の富岡長子さんが仕返しとして、愛人の存在を嫁に教えたのではと思っているとのことでした。

富岡茂永容疑者の遺書には、姉の富岡長子さんの若かりし頃の記述がありました。
富岡長子さんは、10代の頃は高校にも行かず家出同然で遊び歩き、錦糸町のバイト先の客と結婚をし子供をもうけますが、子供を捨て、家に戻ってきたのだそうです。
中卒の富岡長子さんを雇ってくれる会社はなく、神社の経理をする事務員となりますが、仕事は他の事務員に任せ、大検や大学夜間部に通う生活を送っていたといいます。そんな中でも身内ということで、給料は他の事務員以上の報酬を渡していたそうですが、経理の立場から知った富岡茂永容疑者の交際費や姉の立場を利用して、強要・脅迫をされていたと記しています。

宮司を辞めさせれた原因となった姉の富岡長子さんへの恨みが、この頃から芽生えたものと思われます。
(富岡茂永容疑者の遺書では、この時のことを、姉と父親が企てたクーデターと記しています)

富岡茂永容疑者は、その後、富岡八幡宮の宮司に復帰することをあの手この手で狙っていきますが、
時にはそれが行き過ぎた行動となってしまったことがあったようです。

⇒2006年に姉の富岡長子が出した2通のハガキとは?
2006年1月1日と4日の消印で、富岡茂永容疑者は姉の富岡長子さんに対し年賀状代わりの2通のはがきを送っていました。
そのハガキには「必ず今年中に決着をつける 覚悟しておけ 積年の恨み地獄へ送る 覚悟しろ」と書かれていました。
富岡茂永容疑者は、このハガキを送ったことで、富岡長子さんを脅迫した疑いで逮捕され罰金を科せられました。

■2010年~2017年
2010年、父親の富岡興永氏が体調不良で宮司を退任します。
代わりに姉の富岡長子さんを宮司にするべく、富岡八幡宮は神社本庁に申請しますが(神社本庁に所属している神社は宮司の人事について本庁の承認が必要と定められています)、神社本庁は、その後、7年間に渡り、富岡長子さんを宮司として承認しませんでした。その間、富岡長子さんは宮司代務者として務めていました。

2012年、父親の富岡興永氏が亡くなります。

⇒2012年天皇皇后慮陛下の富岡八幡宮例大祭ご拝覧での問題とは?
2012年8月12日の富岡八幡宮例大祭(深川祭)に天皇皇后両陛下のご観覧があった際、宮司代務者の富岡長子さんが説明役を務めていたのですが、その際の富岡長子さんの衣装が正装ではないことから批判の声があがり、怪文書が出回りました。

⇒2014年天皇皇后慮陛下訪問の記念石碑の文字トラブルとは?
2012年8月の天皇皇后両陛下の富岡八幡宮ご拝覧を記念して、2014年に行幸啓記念碑(石碑)が建設されたのですが、その石碑に富岡長子さんは、「富岡八幡宮 宮司 富岡長子」と文字を彫ったのだそうです。
弟の富岡茂永容疑者は、まだ宮司にもなっていないのに、なんで宮司と書くのかとクレームを入れたそうです。結局、石碑の「宮司」と彫られた文字は埋められました。

⇒2015年1月「週刊実話」で土地トラブルの内部告発とは?
富岡八幡宮の土地を巡ってのトラブルが、2015年1月の週刊実話に取り上げられました。
富岡八幡宮の借地権(土地の一部の120坪)を父親の富岡興永氏が富岡八幡宮から搾取し、富岡長子さんとその妹に相続させていたことが内部告発で明らかとなり、神社本庁で大きな問題となりました。

当時、父親の富岡興永氏は老齢だったことや、1995年の時点で躁うつ病が悪化していたことを考えると、富岡茂永容疑者にしてみれば、借地権の搾取は姉の富岡長子さんが企てたものだと思ったことでしょう。

また、この内部告発は事情を知った富岡茂永容疑者によるものだったと推測されています。

⇒2017年5月 富岡八幡宮が役員会で神社本庁からの離脱を決定
長年にわたって、富岡長子さんの宮司申請の承認の返答が無かった神社本庁からの離脱を富岡八幡宮が決定します。

⇒2017年6月「週刊実話」で富岡長子が境内に建設した洋館が問題視される
富岡長子さんは2017年に入り、富岡八幡宮の境内に洋館の自宅を建設しました。神社境内の景観を損なう恐れがあることから、神社本庁では、境内に建造物を建てる際には申請と許可が必要とされており、境内には日本古来の建造物を建てるのが好ましいとされていましたが、富岡長子さんはそのいずれも無視して、2階建ての洋館を1億2000万円の費用で建てたのだそうです。洋館はエレベーターを備えた豪華なものですが、住んでいたのは富岡長子さん1人だったそうです。

⇒2017年5月~7月 富岡茂永容疑者が知人や関係者に話したこと
富岡八幡宮が神社本庁を抜ける決定を下したことについて、富岡茂永容疑者は神社関係者に電話で「抜けたら大変。長子のひとり舞台になってしまう」「土地を買って売ったりとか、それを止めてくれないか」と話したり、知人には「宮司に戻りたい」と泣きながら電話をしてきたことがあったと言います。7月には情緒が不安定な様子であったことを関係者が告白しています。

宮司復帰を狙う富岡茂永容疑者にとっては、神社本庁が富岡長子さんの宮司申請を承認しないのは、好都合でしたし、もしかしたら神社本庁は自分を宮司としたいのではないかと勘違いしていたことも考えられます。

富岡茂永容疑者にとっては、神社本庁からの富岡八幡宮の離脱の事実は、今後、神社本庁からなんの干渉もされることなく、姉の富岡長子さんが正式に宮司となり権力を握りことから、自分は今後、どうやっても宮司になれることはなく、絶望の境地に陥ったと思われます。

⇒2017年8月 富岡長子さんブログ「名前のある怪文書。」で茂永夫婦批判か?
富岡長子さんは、アメーバ―ブログで「富岡八幡宮-富岡長子-公式ブログ」を運営しています。
2017年8月17日の記事は「名前のある怪文書。」のタイトルで、弟の茂永夫婦からの怪文書について書かれていたものと推測されます。

「もう夏も終わりかけていますが、少し前に、名前の書いてある怪文書?…創作物語のような、おかしな文章を目にしました。

苗字が同じだけの、一滴の血も繋がっていない赤の他人の女性名なのですが、驚く事に、私の父親と母親と私の誹謗中傷を超えた創作妄想物語が書いてあったのです。」

一滴の血も繋がっていない赤の他人の女性名=弟の富岡茂永容疑者の嫁の真里子容疑者からの怪文書と疑っていたものと思われます。

富岡長子さんは、ブログの中で、「名誉棄損を超えている内容なので、父の墓前にほうこくしました。」「貴方達のしていることは、神様と自分達と亡くなった父はよく知っていますから。」と締めくくり、相手が複数=茂永夫婦であることを案に示していたものと思われます。

また、2017年8月26日のブログでは、「お金では買えないもの」とのタイトルで、

「自分の両親や妻子を捨て、質の悪い人間に騙され欲望のままに暮らし、質の悪い人間と共に生地獄に落ちた人達は、疑心暗鬼等の鬼の世界に支配され、自分達の不幸を全て他人のせいにして、自分達の行いと向き合おうとせず、抜け出せない生地獄のループに陥るのです。」

自分の両親や妻子を捨て=弟の富岡茂永容疑者のことを案に言っているものと推測されます。

■2017年10月
2017年9月、富岡八幡宮は神社本庁を離脱します。神社本庁からの承認がいらなくなったことで、10月、富岡長子さんが正式に宮司となります。

⇒2017年12月 富岡長子宮司が「弟からの脅迫」を警察に相談
富岡長子宮司は、「弟から脅迫みたいな電話がかかってきて困っている」と周囲に打ち明けていたそうです。
富岡長子さんのブログには、境内に40代以上の防犯カメラを設置してることや、深川警察を訪れていることなどが綴られており、その予兆が既にあったのではと見られています。

■2017年12月7日
富岡茂永容疑者は嫁の真理子容疑者とともに犯行に及びます。

⇒嫁の真里子容疑者は心中は知らされていなかった?

ツイッターでは富岡茂永容疑者の嫁の真里子容疑者が、犯行・心中翌日の12月8日に居酒屋に予約を入れていたとの情報がありましたが、一方で、真里子容疑者は12月1日付で、今回の犯行とその後、自殺をすることを記した遺書を書いています。犯行は計画的なものであったことが明らかですが、いつ実行するのかは知らされていなかったのかもしれません。

■2017年12月9日
富岡茂永容疑者が犯行当日に富岡家の内紛についての真相と、富岡八幡宮の関係者に対しての要求を綴った遺書(手紙)を投函していたことが明らかとなりました。

富岡茂永が犯行当日にかいた遺書(手紙)【全文画像】

12月9日、富岡茂永容疑者が犯行前に書いた遺書(手紙)の存在が明らかとなりました。

「富岡八幡宮及び富岡家の内紛、お家騒動、歴代宮司(宮司代務者)の数々の不祥事につきましては、氏子崇敬者を始め、神社界の皆様、ご関係各位に長期に亘り多大なる御迷惑と、ご心配をお掛け致しました事、衷心よりお詫び申し上げます。」

お詫びから始まる遺書(手紙)はこう続いていきます。

「約30年に亘り続きました、富岡家の内紛について、その真相を此処にお伝えさせて頂きます。」

遺書(手紙)はA4の用紙8枚にワープロの文字で綴られており、消印は8日で、犯行当日に投函されたものと見られており、「前富岡八幡宮宮司 富岡茂永」の差出人名で、富岡八幡宮の関係者に12月9日の朝、届きました。

遺書(手紙)には、

・父を補佐し、お家の危機を救った富岡茂永容疑者を、姉の富岡長子さんが騙し、父と共にクーデターを画策することは夢にも思っていなかったこと

・富岡長子さんを富岡八幡宮から永久追放すること

・正当な跡継ぎである富岡茂永容疑者の長男の富岡秀之さんを富岡八幡宮の宮司に迎えること

そして、

「もし、私の要求が実行されなかった時は、永遠に祟り続けます」

と綴られていました。

富岡茂永容疑者は、宮司時代に、富岡八幡宮をアピールすることに力を入れており、父親の時代に比べて、神社の収入は劇的に増えたといいます。江戸勧進相撲の発祥地として有名で、横綱の名前が刻まれた「横綱力士碑」のある富岡八幡宮の「新横綱克明式」を再興し、横綱を呼び取材を受けるなどの流れを作ったのも富岡茂永容疑者の功績だったといいます。

富岡茂永容疑者が宮司を務めていた1998年、若乃花が横綱昇進となった時に「新横綱刻銘式」が復活し、土俵入りを披露する「刻名奉告祭」を行うようになり、富岡八幡宮の参拝客は各段に増え、収入が激増していったと言います。そういった施策が、「お家の危機を救った」ことを意味していると推測されます。

江戸時代の1627年に建設され、以来、「深川の八幡様」と親しまれている富岡八幡宮で起こったまさかの事件。姉の富岡長子さんと弟の富岡茂永容疑者の不和は誰もが知るところだとしても、まさかこのような事件に発展するとは誰も想像はしていなかったことでしょう。宮司を無くして、そしてその現場となってしまった富岡八幡宮は今後どうなっていくのでしょうか。

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