俳優として活躍中の志尊淳(しそんじゅん)さんはどんな人なのでしょうか。
気になるプロフィールについて、韓国人ではと噂の本名や、太っていた昔のドカベン時代から18キロダイエットでイケメンへの変貌、音楽一家の家族(両親、兄姉、祖父母、叔父)の凄い経歴や家族愛についてまとめました。
志尊という珍しい苗字を調べていくと韓国人ではなくフィリピン人とのハーフである可能性についても考察しています。
志尊淳のプロフィール
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本名
志尊淳(しそん じゅん)
生年月日
1995年3月5日
血液型
A型
身長
178㎝
出身地
東京都足立区
学歴
聖学院中学校卒業
聖学院高校中退
日出高校(通信制)卒業
職業
俳優・タレント
主なドラマ・舞台・映画
2014-15年 ドラマ「烈車戦隊トッキュウジャー」(主演・ライト/トッキュウ1号)
2015年 ドラマ「表参道高校合唱部!」(夏目快人)
2015年 映画「先輩と彼女」(主演・美野原圭吾)
2017年 ドラマ「きみはペット」(主演・合田武志)
2017年 舞台「春のめざめ」(主演・メルヒオール)
2017年 映画「帝一の國」(榊原光明)
2018年 ドラマ「女子的生活」(主演・小川みき)
2018年 連続テレビ小説「半分、青い。」(藤堂誠)
2019年 ドラマ「Heaven? 〜ご苦楽レストラン〜」(川合太一)
事務所
ワタナベエンターテインメント
Twitter
志尊淳(@jun_shison0305)
インスタ
志尊淳(@jun_shison0305)
名前は本名なの?韓国人の噂の真相は?
志尊淳の名前は本名で、「志尊(しそん)」は日本では珍しい苗字になります。
志尊淳さん自身もテレビのインタビューで、「志尊(しそん)」の苗字は親戚ぐらいしか聞いたことが無いと発言しています。
志尊淳をカタカナ表記すると「シソン・ジュン」となり韓国名のようなところから(実際、ソンジュンという俳優さんもいらっしゃいます)、韓国人では?との噂もありますが、韓国名だとしても「シソン」の苗字は存在しないので(ジュンが苗字ならありえます)、韓国人、もしくは、韓国人とのハーフという可能性は無さそうです。
韓国ではありませんが、「シソン」の苗字が存在する国があります。
それがフィリピンです。
フィリピンでは「シソン(Sison)」は一般的な苗字です。
志尊淳さんは、韓国人ではなくフィリピン人とのハーフで、「シソン(Sison)」の苗字を当て字で「志尊」としたという可能性はありそうです。
昔は太ってたドカベン!
学生時代の志尊淳さんは、小学校から野球少年で、ポジションはキャッチャーで打順は4番。
当時の身長は、今より10センチ低く、体重は73キロの「ドカベン」そのもので、全くモテない過去だったそう。
野球少年時代のじゅんじゅん⚾️💓#メレンゲの気持ち #志尊淳 pic.twitter.com/jm9dK3Nh6N
— KERE△ (@KERE_0305) June 16, 2018
中学時代に18キロダイエットでイケメンへ
8年間続けた野球を中学校2年生の時にやめた後、2ヶ月で18キロのダイエットに成功し、野球をやめるとなぜか身長も伸びたのだそう。
周りの女子は手のひら返しで群がるようになったそうで、そこから志尊淳さんのモテ伝説が始まります。
志尊淳さんは、学校は、東京都北区中里にある私立聖学院中学校→聖学院高校へと進学。
やんちゃな高校時代のイケメン卒アル
聖学院中学校・高校は男子校なのですが、バレンタインでは最高40個のチョコを貰ったことを告白しています。
その後、高校時代から俳優業を始めた志尊淳さんは、聖学院高校は中退しますが、東京都目黒区にある日出高校(現・目黒日本大学高校)の通信制に転入し卒業しています。
志尊淳さんの高校の卒業アル画像と言われているのがこちら。
聖学院高校の制服は、紺の背広型に紺のネクタイ。
日出高校の通信制では基本、制服は無いとのこと。希望者は買えるようですが、紺の背広型に紺地に白ストライプのネクタイ。
志尊淳さんの着ている制服は聖学院高校のものに似ているので、卒アル写真ではないのかもしれません。
こちらは、志尊淳さんが公開した高校時代の画像です。
こちらもストライプのネクタイではなさそうなので、聖学院高校時代のものの様です。
志尊淳さんが転入した卒業した日出高校は、芸能コースがあり卒業生には、仲間由紀恵、上野樹里、新垣結衣、渡辺麻友、松岡茉優、葵わかな、玉森裕太、千賀健永、中川大志など、多くの有名芸能人を輩出しています。
川栄李奈さんは、志尊淳さんと同じクラスの同級生だったことを「A-studio」で明かしています。
志尊淳の家族(両親、兄姉、祖父母や叔父)は?
志尊淳さんの家族として公になっているのが、祖父母と叔父です。
祖父は作曲家!祖母は初代「うたのおねえさん」
志尊淳さんの祖父は、作曲家の宮崎尚志(みやざきなおし)さんで、残念ながら2003年に肺がんで既に亡くなっています(享年68歳)。
宮崎尚志さんが生涯に作った曲は1万曲を超え、その中には「スカッとさわやかコカ・コーラ」のコカ・コーラCMや「伊勢の名物、赤福餅はえじゃないか」の赤福餅のCM、プロ野球の広島東洋カープの球団公式応援ソング「それ行けカープ~若き鯉たち~」などがあります。
大林宣彦監督映画の「廃市」「さびしんぼう」「姉妹坂」「彼のオートバイ、彼女の島」「傷だらけの勲章」などで音楽を手掛けたのも宮崎尚志さんです。
宮崎尚志さんの嫁で、志尊淳さんの祖母にあたるのが、NHK初代「うたのおねえさん」を務めた中野慶子(なかのけいこ)さん(80歳)です。
隣に写っているのは中野慶子さんとともに初代のうたのおねえさんを務めた眞理ヨシコさんです。
叔父2人は作詞家・作曲家!
志尊淳さんの祖父母の宮崎尚志さんと中野慶子さんの子供が、作曲家の宮崎道(みやざきみち)さんと、作詞家・作曲家でシンガーソングライターの宮崎歩(みやざきあゆみ)さんです。
宮崎道さんは、1968年2月生まれの現在、50歳で、宮崎歩さんが1971年8月生まれの現在47歳で、いずれも志尊淳さんの叔父にあたり、2人から見ると志尊淳さんは甥っ子になります。
宮崎歩さんについて、志尊淳さんが自身のTwiterで叔父であることを紹介しています。
そ!し!て!
個人的になんですが
嵐さんの「ハダシノ未来」などを作詞・作曲している
ミュージシャンの宮崎歩くんが
僕の叔父だということもVS嵐で初めて話させて頂きましたっ✨歩くんの作る歌、歌う歌、どれも最高なので皆さんも聞いて見てくださいなっ!!
あー幸せな瞬間でした✨ pic.twitter.com/1QeFzgv7tg
— 志尊淳 (@jun_shison0305) 2017年4月27日
宮崎歩さんは、嵐の11作目のシングル「ハダシの未来」の作詞・作曲を始め、KAT-TUN、KinKi Kids、関ジャニ∞、タッキー&翼、Hey!Sey!JUMPなど多くのジャニーズグループやメンバーに楽曲を提供しているほか、1998年にアニメ「デジモンアドベンチャー」の挿入歌「brave heart」を歌ったのを始めデジモンシリーズを中心にアニメソング歌手としても活動されていています。
父親はフィリピン系のシソンさん?
志尊淳さんの両親は、淳さんが小さいころに離婚していることを「A-studio」出演時に明かしています。
両親が離婚後は、母親に引き取られ、母親の実家で育ちました。
先に紹介した祖父母や叔父の苗字が「宮崎」と志尊さんと違っていることから、志尊淳さんの母親が、旧姓・宮崎で、父親の志尊さんと結婚したか、父親が宮崎家の人間で、母親方(志尊)に婿入りしたかのどちらかになります。
志尊の苗字が日本では珍しいことや、志尊淳さんの実家が宮崎家の実家である東京都足立区のことから、母親が宮崎家の人間で、父親が志尊さんの可能性が高そうです。
志尊淳さんは、祖母と母親が仲が良いことをインタビューで答えていますので、祖母の中野慶子さんと母親が実の親子であればそれも納得です。
両親が離婚後も、淳さんが、父親の「志尊」の苗字をなぜ、名乗っているかは謎です。
「A-studio」に出演時に、鶴瓶さんが、淳さんが尊敬する人との質問に「父、母」と書いていたことを話していました。
離婚はしていても、父親のことを尊敬していて、それが、「志尊」の苗字を名乗っている理由なのかもしれません。
イケメンの兄や姉はどんな人?
志尊淳さんには兄と姉がいます。
今日は
「子供の日」ということで
たまたま出てきた小さい時の写真を✨こんな時もありました(^.^)笑 pic.twitter.com/8aUyt2RQCL
— 志尊淳 (@jun_shison0305) 2016年5月5日
テレビのインタビューで、志尊淳さんは兄の家にはテレビが無いこと、姉は昨年まで海外にいたため、2人は志尊淳さんのことをまだ俳優の卵と思っていたことを明かしていました。
志尊一家は淳さん以外はみんな歌が上手いとお姉さんが「おしゃれイズム」で答えていました。
YouTubeにはお姉さんが歌う動画が投稿されていましたが、現在は削除されてしまったようです。
珍しい苗字ということもありSNS調べてみたところ、東京足立区在住で、志尊淳さんと同じ聖学院中学校・高等学校を卒業したお兄さん(ケンさん)と、海外に留学されていたお姉さん(マリさん)を見つけることができました。
兄は淳さんの4歳年上なので、1991年生まれ。
両親が離婚後は、自分が淳さんの父親代わりと思ってきたとのこと。
淳さん曰く、めちゃくちゃ優しい人なのだとか。
ネットで志尊淳さんの兄について調べると「イケメン」の文字が並んでいます。
これは、顔がイケメンではなく、行動や性格がイケメン、ということのようです。
「A-studio」の取材で家族と対面した鶴瓶さんによると、志尊淳さんの兄は、見た目は格闘技をやるようなごっつい体と顔をしているとのこと。
その見た目から、淳さんの兄は、職務質問を受けることが良くあるそうで、「お前(淳さん)の顔を良くするために自分はこんな顔になった」というようなことを言っているんだとか。
志尊淳さんは、学生時にその有り余るパワーを向ける先として、母親から格闘技をすることを勧められ、実際、格闘技を習っていたそうですが、見た目は格闘技が似合う兄は、性格が優しく、格闘技なんて絶対、イヤ、という男性なのだそうです。
そんな優しい兄が、弟の志尊淳さんを殴ったことが一度だけありました。
志尊淳さんは、17歳の高校生の時に一大決心をして、家族には内緒で、実家から住民票を移して一人暮らしを始めようとしました。
その前年、志尊淳さんは、ミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズンのオーディションに合格し俳優デビューを果たし、本格的に俳優業に邁進している時でした。
俳優業に専念するために、当時、通っていた聖学院高校を中退していますので、その決心はよほどのものだったのでしょう。
家族には告げずに家を出る日、たまたま帰って来た祖母に見つかり、祖母は大号泣となったとのこと。
そして、志尊淳さんが家を出ることについての家族会議が開かれました。
祖母と母親は泣きじゃくっていました。
その時、これまで全然、怒ったことの無かった兄が、「母親を泣かせるってどういうことかわかってるんだろうな」と、志尊淳さんを初めて殴ったのだそうです。
志尊淳さんは鼻血が出るほどだったそうで、それでも、覚悟を持って、家を出たのでした。
連絡を取らないと決めて家を出た志尊淳さんは、それから1年ほど、家族と音信不通状態となっていました。
そんなある日、志尊淳さんはドラマで家族に対して泣きながら怒るシーンがあり、それを見た家族から淳さんに連絡があり、「淳はこういう気持ちだったのかな」と打ち明けてくれたのだそう。
実はそのシーンの台本には泣くということは書いていなかったにも関わらず、堪えても涙が出てきてしまったんだとか。
それがきっかけで再び家族に会うことができ、実家で一緒に暮らすようになったのだそうです。
志尊淳さんの兄に話しを戻すと、お兄さんは2017年に結婚しています。
僕の大事な実兄が結婚しました。
信じれない気持ちと信じれないくらい幸せな気持ちが入り混じってますがとにかく嬉しいです。
優しくて頼もしくて素敵すぎる兄貴なのでほんとに良い父になりそうです。
姉も一人増えました。ほんとに嬉しい。
お兄、おめでとう🎉
末長くお幸せに🎉
幸せです。— 志尊淳 (@jun_shison0305) 2017年6月1日
以上、志尊淳さんのプロフィールや家族構成について見て来ました。
俳優の道を歩む前の高校時代の志尊淳さんはやんちゃで、母親は「この子の育て方がわからない」と相談所に通ったこともあったといいます。
家族の愛に見守られて、活躍の幅が広がっている志尊淳さんのこれからがますます楽しみですね。