紅白歌手Xこと克美しげると、愛人ストーカーの岡田裕子の事件の真相が3月4日のTBS「爆報!THE フライデー」で話題になっているので調べてみました。
克美しげるが爆報THEフライデーの紅白歌手X
事件は1976年5月に起きました。
まずは、紅白歌手Xこと克美しげると、被害者マリコこと岡田裕子さんの出会いから(擬装)結婚までを調べてみました。
克美しげるは、1960年に23歳で出したデビュー曲「霧の中のジョニー」が40万枚の大ヒットとなり、1963年にはテレビアニメ「エイトマン」の主題歌や、60万枚のヒットとなった「さすらい」など数々の名曲を生み出し、1964年、1965年と2年連続でNHK紅白歌合戦に出場、時代の象徴とされる歌手でした。
克美しげる三連発。「霧の中のジョニー」。知ってる人は知っている大瀧詠一「さらばシベリア鉄道」の元歌のひとつ。構成はほぼそっくりの哀愁路線のヒット曲。 #所有レコード開陳 pic.twitter.com/woarxjnLaO
— ジョン・パウロ(本物) (@JP_mito) 2015年1月12日
芸能界一の好青年と言われ、プライベートでは妻と子どものいる幸せな家庭を築いていました。
そんな時、克美しげるは、銀座の高級クラブのナンバー1ホステスであったマリコこと岡田裕子さんと出会います。その1か月後には同棲生活が始まりました。
克美しげるは、妻子がいることは岡田裕子さんには隠して付き合っていたそうです。
一方、仕事面では、克美しげるの人気は低迷し、仕事が激減していました。
焦った克美しげるは、音楽関係者への接待を続け、借金1000万円を作ってしまうのでした。
その窮地を救ったのが岡田裕子さんでした。毎月30万円(現在の100万円)を克美しげるに渡し、借金1000万円を返済することが出来たのです。
しかし、これに味をしめた克美しげるは、岡田裕子さんのお金で豪遊し、ギャンブルにハマり、賭けマージャン等で再び借金を作っては、岡田裕子さんにお金を無心して返済をするといったことを繰り返していました。
ホステスの収入だけでは克美しげるに貢ぐお金が足りなくなった岡田裕子さんは風俗店で働いてまで克美しげるに貢ぎ続けたのでした。
克美しげるが岡田裕子さんに貢がせた金額は、3500万円(現在の1億円以上)にのぼりましたが、克美しげるに心底惚れていた岡田裕子さんは、けなげに克美しげるを支え続けたと言います。
そんな岡田裕子さんを離したくない克美しげるは、1975年、岡田裕子さんと擬装結婚することを計画し、岡田裕子さんの実家を訪れ、岡田裕子さんの両親に挨拶し、親戚や友人らを招いて(擬装)結婚式を挙げたのでした。
紅白歌手X 克美しげるの動機は?
1976年に入り克美しげるに好機が訪れます。
克美しげるの復活を図る企画をレコード会社が実施することとなったのでした。
しかし、スキャンダルはご法度との条件付きで、克美しげるは、岡田裕子さんのもとを離れ妻子と暮らし始めましたが、結果、岡田裕子さんに二重結婚がバレることとなってしまいました。
そんな裏切りをされても、岡田裕子さんは憎しみよりも、克美しげるへの愛情をもちつづけ、疎遠にされても諦めきれずに全てのコンサートに顔を出し、そんな事情をしらない克美しげるのスタッフからはストーカー呼ばわりされてしまうのでした。
克美しげるの復活を図る企画では、新曲の作詞家に、昭和歌謡界の巨人と呼ばれたヒットメーカー阿久悠氏が決定。
阿久悠氏が書いてくれるとなれば、克美しげるの再ブレイクは約束されたも同然となったのでした。
そして、事件当日、1976年5月6日、
岡田裕子さんの自宅を訪れ、これ以上、つきまとわないよう説得する克美しげるに対し、これまで耐えてきた岡田裕子さんがついにキレ、「マスコミに全部ばらしてやる」と克美しげるを責め立てたのでした。
3度目の紅白出場が現実的となった克美しげるにとって、この目の前の岡田裕子さんさえいなければ、そんな気持ちから犯行に及んでしまったのでした。
紅白歌手Xこと克美しげるの現在は?
その後の克美しげるですが、懲役10年の温情判決で刑務所に入るも、音楽仲間のおかげで7年後の1983年に仮出所します。
同年12月には、岡田裕子さんの墓参りをし、岡田裕子さんの両親に公開謝罪会見を開き、その様子はテレビで生中継されたとのこと。
音楽事務所を開き、カラオケ教室を開催し、結婚もされています。
しかし、1989年覚せい剤取締法違反で逮捕され懲役8ヵ月の実刑判決を受け、それまで克美しげるを応援していた多くの友人を失うことになります。
その後、克美しげるさんは1996年に31歳年下の女性と再婚しますが、75歳の2013年、脳出血を起こし、42歳となった奥さんに看取られひっそりと息をひきとりました。
こんなことがあったなんて、昭和の時代、恐るべしです・・・
コメント