男子バレー日本代表の注目の選手はなんといっても石川祐希選手ではないでしょうか。日本代表メンバーの最年少にして新エースの石川祐希選手の妹の真佑(まゆ)さんや家族はどんな人達なのでしょうか。石川祐希選手はどのような中学、高校、大学時代を過ごしてきたのか、その経歴も調べてみました。
石川祐希選手のプロフィール
名前 | 石川 祐希(いしかわ ゆうき) |
生年月日 | 1995年12月11日 |
出身地 | 愛知県岡崎市 |
身長 | 191㎝ |
体重 | 74Kg |
足(靴)のサイズ | 29.5cm(バレーシューズ) 30cm(それ以外) |
血液型 | AB |
小学校 | 岡崎市立矢作南小学校(2002年-2008年) |
中学校 | 岡崎市立矢作中学校(2008年-2011年) |
高校 | 星城高等学校(2011年-2014年) |
大学 | 中央大学(2014年-) |
留学 | イタリアセリエA1 パッラヴォーロ・モデナ(2014年12月-2015年3月) |
ポジション | ウイングスパイカー |
利き手 | 右 |
最高到達点 | 3m45cm(スパイク) 3m30cm(ブロック) |
music | GENERATIONS from EXILE TRIBEのファン |
好きな女性のタイプ | 能年玲奈、有村架純、堀北真希 |
石川祐希の妹まゆや家族は全員超体育会系アスリート!
石川祐希選手は、両親と1つ年上の姉と5歳年下の妹の5人家族です。石川家は皆、スポーツをやっている超体育会系のアスリート一家なんです。
父親の石川幹尚(もとなり)さんは元実業団デンソーの陸上選手(短距離走)で身長が184㎝、母親の石川みどりさんも元実業団デンソーのバスケットボール選手(身長165㎝)でした。
1歳年上のお姉さんの石川尚美さんは、祐希選手より先にバレーボールを始めていて、祐希選手がバレーを始めるきっかけを作ってくれました。
妹の石川真佑さんは、バレーの強豪校である長野市立裾花中学校出身で、キャプテン及びエースとして活躍し、全日本中学校バレーボール選手権大会では優勝へと導き、高校は、春高バレーの常連校である東京・下北沢成徳高校へ進学しました。
身長172㎝で、ポジションは兄の祐希選手と同じくウイングスパイカー。中学時にはナンバーワンスパイカーと呼ばれた逸材で、東京五輪に向けて全日本代表に選ばれるように日々、練習に励んでいるそうです。
石川祐希選手のココが凄い!
10年に1人の逸材と言われている石川祐希選手の強みと言えばスパイク。
でも石川選手は身長191㎝とアタッカーとしては小柄な選手です。
石川祐希選手のスパイクのどこが凄いのでしょうか。
石川祐希選手の凄いところの1つ目は、「滞空時間の長さ」です。
石川選手はジャンプしてから1番高い打点に届くまでのスピードが速いので、1番高いところにいられる時間が長いんです。
1番高いところから相手の選手を見渡し、ブロックの空いているところを見ながら打つことができると言うわけです。20歳の若さでこんなプレーができるのは石川選手だけなんだそうです。
そして、もう1つは、「空中での対応力」です。
石川選手はスパイクを打つためのテイクバックを誰よりも早くでき、肩や肘が柔軟なので、空中でコースを変えることができるため、石川選手がどのコースに打ってくるのかは最後までわからないんだそうです。
ブロックとの駆け引きの中で、身体をうまくひねりながら逆にスパイクを打つことができるんです。
そして何よりも、石川選手は勝利に対する強いマインドを持っています。
石川祐希選手は負けることが嫌いで、相手が強ければ強いほど、自身がレベルアップして戦っていけるような選手だと言います。
石川選手のそんな負けん気は高校の卒業文春にも残されていました。
「三年間を通して・・・高校への第一歩」と題した文集にあったのは、
「絶対に勝ってやる。」
「最後は気持ちの強い方が勝つ」
の文字。
天性の才能と努力によって磨かれた技術と勝利への強い想いを持つ石川祐希選手。
だからこそ、日本代表で1番年下なことはお構いなしで、勝ちに行く姿は素晴らしいと思います。
石川祐希選手の小学・中学・高校のバレーボール経歴が凄い!
小学校時代 バレーを始めて4か月で全国大会のベンチ入り
石川祐希選手がバレボールを始めたのは小学4年生の時でした。
友達の影響で、小学3年生の時は野球をやっていた祐希選手でしたが、お姉さんについていったことがきっかけで小学4年生の時にバレーボールを始めることになりました。
祐希選手やお姉さんが通っていた岡崎市立矢作南小学校はバレーの強豪校で、5、6年生でもベンチに入れない選手がいるところ、祐希選手は始めて4か月後には全国大会のベンチ入りをしていたそうです。矢作南小学校のコーチ(先生)曰く、祐希選手には「バレーのセンスがあった」とのこと。元々天性の才能がやはりあったんですね。
中学校時代 挫折から努力を積み重ねる
石川祐希選手が進学した岡崎市立矢作中学校もバレーの強豪校でしたが、祐希選手は壁にぶつかります。
当時の祐希選手は身長が160cm程とバレー選手としては小柄なか細い少年で、祐希選手のスパイクは、体格の大きな選手のブロックには通用しませんでした。
この挫折・敗北から、石川選手の成長が始まりました。
小さい選手が生き残るためには、色々な技術の習得が必要でしたが、自分でも練習方法を考えて、もっとうまくなりたいという気持ちをもって練習に励んでいたそうです。
矢作中独自のテイクバックの練習方法で、誰よりも早いテイクバックの基礎を築き、スピードやタイミングに長け、コースの打ち分けが狙ってできるようにと技術を磨いていきました。
高校時代 努力が花開く!
この積み重ねた努力は、身長が伸びた星城高校時代に一気に開花することになりました。
高校時代は、公式戦99連勝、春高バレーで2年連続最優秀選手、石川選手が率いる星城高校は、国体、インター杯、春高バレーの3冠を史上初の2年連続3冠を達成します。
高校時代のエピソードとしては、実は石川祐希選手が本気を出したのは、たったの1回だったと言います。
それは高校3年生の時の国体準決勝で、石川祐希選手率いる愛知県代表対福岡県代表の試合でした。
愛知県代表は2セットを先取され、もう後がなくなりました。その時、石川選手がメンバーにこう告げたのでした。
「みんなゴメン!今からボールを全部俺に回してくれ!」
石川選手のスイッチが入った瞬間でした。
自分にあがったボールを打って打って打って打ちまくる。祐希選手の怒涛の猛ラッシュで愛知県代表は見事に逆転勝利を果たしたのでした。
そして、そのあとに事件が・・・
試合後、ロッカールームへ戻る途中で、石川選手は全身痙攣を起こしてしまい倒れてしまいました。肉体の限界を超えてしまって立つことさえできなくなっていたのでした。
チームメイトは石川選手を担いで、試合会場近くの銭湯に向かいました。石川選手の筋肉をほぐすため湯船の中でみんなでマッサージを行ったんだそうです。
そして、翌日の決勝戦でも石川祐希選手は活躍することが出来、国体優勝へと導いたのでした。
中央大学は18年ぶりに大学日本一へ
大学では体づくりをしたいと、筋力トレーニングを重視する中央大学へ進学します。
中央大学では、石川祐希選手は1年生ながらエースとなり活躍します。
低迷していた中央大学バレー部は、28年ぶりに全日本インカレで優勝することができました。
史上最年少の18歳で日本代表に初選出
2014年から新たに日本代表の指揮を執ることになった南部正司監督は、それまで固定されつつあった選手選考を見直し、次世代のホープとなる石川祐希選手を日本代表に選びます。石川選手が史上最年少の18歳で全日本入りとなった瞬間でした。
世界最高峰イタリアセリエAの名門モデナと契約
2014年12月、将来を見据え、石川祐希選手は、大学バレーのオフシーズンを利用して、イタリア一部リーグ(セリエA1)の名門プロチームであるパッラヴォーロ・モデナに期限付き移籍加入します。
モデナは各国からスター選手を集めセリエAで過去1回の優勝を誇るチームで、移籍したものの石川祐希選手はベンチを暖める日々を送っていました。
イタリアで指摘された2つの課題の克服に挑みます。
1つ目は筋肉不足。小さな体でも世界と戦える身体を作るため体幹&ウエイトトレーニングに重点を置き練習量を増やしていきました。
そして2つめは、イタリア流の型にはまらないプレーに対応できるようになること。どんな状態でもトスを上げて来たり、どこからでもクイックをあげてくるのがイタリア流なのでした。
移籍して48日後、石川祐希選手は初めてモデナのスタメンに選ばれます。モデナはストレートで勝利をおさめ、石川選手は3セット75天中14得点し、最後のセットは石川選手がレシーブで上がったボールをバックアタックで決めるというイタリア流の型にはまらないプレーで勝利となりました。
石川選手曰く、「かなり手ごたえを感じた」イタリア留学で、技術も身体も一回り大きくなって日本に帰ってきてくれました。
ワールドカップ2015で世界のベスト6に選ばれる!
2015年9月のワールドカップバレー男子大会では、日本は5勝6敗の6位となりました。この成績は1995年に次ぐ好成績で男子バレーは20年ぶりにAクラス入りを果たし、8年ぶりのオリンピックへ向けて希望の光が見えてきました。
石川祐希選手は、ベストスパイカー(決定率)で4位、世界のベスト6にあたるセカンドベストアウトスパイカー賞を受賞しました。
そして、2016年男子バレーリオ五輪世界最終予選兼アジア大陸予選大会の舞台が開幕しました。
大会には、世界最終予選枠4チーム(ポーランド、フランス、カナダ、ベネズエラ)とアジア大陸予選枠3チーム(イラン、オーストラリア、中国)、そして開催国の日本の計8チームが参加しています。
リオ五輪の出場権は、アジア最上位チームと、それを除く上位3チームの4チームに与えられます。
日々、成長している石川祐希選手の活躍を見るのが楽しみです。
コメント
最高点に早くって。。。