野村宏伸 芸能界から干された理由と田原俊彦との再会で再びチャンスを掴んだしくじり人生とは?

テレビ

野村宏伸さんが、6月6日の「しくじり先生」に出演し、芸能界から干された理由と、その後のどん底生活、そして、田原俊彦さんとの再会によって再びチャンスを掴んだ人生をテレビで語りました。

1980年代~90年代に20代で大ブレイクして豪遊生活を送っていた俳優の野村宏伸は、2005年の40歳にはほぼ無職でアルバイト生活を送っていました。




野村宏伸 1度目の人生のどん底は幼少期

野村宏伸は、1965年5月3日東京生まれの、現在52歳です。

生まれた実家は板橋で、父親は化学薬品工場の2代目社長の御曹司として裕福な家庭に生まれました。

自宅は約200坪の豪邸で、庭には錦鯉が泳ぐ池があり、小学校で海外旅行にも行っていたのだそうです。欲しいものはなんでも手に入る環境でした。

ところが、野村宏伸が高校1年生の時に、父親の工場は不渡りを出し倒産をしてしまいます。

借金の取り立てから逃れるため、父、母、野村宏伸、妹の家族4人は夜逃げ同然となり、一家は離散、野村宏伸は父方のいとこの家に世話になるのをはじめ、親戚の家を転々とする生活となってしまいます。

10ヶ月後、父親は破産宣告をすることで、家族4人は再び一緒に住むことができるようになりますが、以前と比べれば慎ましやかな生活を送となりました。

また優雅な生活がしたい、そう家族全員が思っていたある日、妹がある提案をしてきました。

野村宏伸 芸能界デビューは薬師丸ひろ子の相手役

それは、角川映画の俳優オーディションでした。

薬師丸ひろ子主演の映画「メイン・テーマ」の相手役のオーディションで、優勝者には賞金500万円が、推薦人には100万円が貰えるというものでした。

賞金欲しさに参加したところ、野村宏伸はなんと、2万3千人の中から見事、選ばれ芸能界デビューを果たします。

ちなみに優勝賞金で野村宏伸は車を購入したそうです。

1984年、映画「メイン・テーマ」は大ヒットし、野村宏伸は演じた大東島健役で、翌年1985年の第8回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞します。

ちなみに、この「メイン・テーマ」の相手役オーディションには唐沢寿明も応募していて、最終審査まで残っていたのだそうです。

唐沢寿明以上と森田芳光監督が選んだ野村宏伸は、翌年1986年には角川10周年記念映画の主演に20歳で大抜擢され、その後、アイドルとしてドラマや歌と大活躍するようになります。

父親の工場の倒産から約4年での快進撃でした。




野村宏伸 教師びんびん物語で大ブレイクの豪遊時代

野村宏伸が大ブレイクするきっかけとなったのが、田原俊彦とコンビを組んだテレビドラマ「びんびん物語シリーズ」でした。

1988年のシリーズ2作目のフジテレビ月9ドラマ「教師びんびん物語」は、東京の小学校を舞台とした学園ドラマで、平均視聴率22.1%、最高視聴率24.9%を記録する大ヒットとなりました。

「びんびん物語シリーズ」の榎本英樹役で大ブレイクとなった野村宏伸には、CMオファーが殺到し、契約数は10社以上にのぼり、20代での最高月収は6000万円となり、正に「勝ち組」の人生を送るようになります。

欲しいと思ったものは全て買える、そんな夢の生活が到来し、600万円のキャンピングカーを衝動買いするも1回使って飽きてしまったり、1年単位でメルセデス・ベンツやポルシェ等の高級車を買い替える生活を送るようになります。

夢であったポルシェは23歳の時に4台ほど現金で購入したそうですが、当時の野村宏伸にとっては、コンビニで「アイスください」といった感覚だったとのこと。
絶頂期の年収は2億円で、その状況が4~5年続きます。

「お金はずっと入ってくるもの」、野村宏伸は、そんなうぬぼれた勘違いをしていたと言います。

この時からの野村宏伸の教訓がこちら、

「稼いでいる」のではなく、「稼がせてもらっている」

自分の1人の力で稼いでいるのではなく、誰かが仕事を与えてくれているからお金をもらえている。そのありがたみをしっかり心に刻んで、謙虚な気持ちを忘れずに働きましょう。

もちろん、当時の野村宏伸はそんな気持ちに行き当たるはずもなく、金銭感覚はどんどんマヒしていきます。

ついには、世田谷に2億8千万円の豪邸を衝動買いします。頭金1億円のローン払いだったそうで、建築家と打ち合わせを重ねて自分の理想を詰め込んだ家は約110坪、1階のリビングは約50畳の4LDKで、バーベキューのできる広大な庭がありました。

当時、離婚をした母親を呼んで一緒に暮らしたそうで、母親に喜んでもらおうと10畳の巨大なお風呂場を作ったそうですが、あまりにも広大すぎてお湯はすぐ冷めてしまうなど寒い風呂場となってしまったそうです。浴室をはじめ冬は全部屋に暖房を入れる必要があり、光熱費が月8万円となってしまったそうです。

野村宏伸は当時の自分を「お金で幸せを買える」と思っていたと振り返ります。

野村宏伸からの教訓その2、

「いい車」と「いい家」≠「本当の幸せ」

当時の野村は車や家というステータスにとらわれていたと言います。一時のお金の価値に惑わされず、何が幸せなのかを絶えず自問自答し、本質を見つけてほしいと訴えます。

金銭感覚はマヒし、周りにお金を頼って変な人もよってきますが、何とかしてやろうと気軽にお金を貸してしまったといいます。




野村宏伸が芸能界から干された理由とは?

高校生で何気なく受けたオーディションで芸能界デビューし、映画やドラマが大ヒットとなり、年収1億円を突破、そんな中で、野村宏伸は会社にわがままを言いたい放題の天狗になってしまっています。

「この事務所があるのは誰のおかげだ?」

「休みくれって言ってんだろ!!」

「俺をもっと売れよ!それがマネージメントだろ!?」

野村はその日の気分で事務所にわがままを言ってしまう状態だったと言います。

さらに、「びんびんの榎本」として有名になったにも関わらず、ナヨナヨした性格の榎本役はもうやらない!とまで言ってしまいます。

本当の性格は男っぽい野村宏伸は、自分とは真逆の気弱な榎本を演じるのが嫌でたまらなかったのです。

街で「びんびんの榎本さんですよね?」とファンに声をかけられた野村宏伸は、「・・・だから?」と答えていたのだそうです。

その後、連続ドラマの主演のオファーが続々と届くものの、そのほとんどが榎本のようなナヨナヨした気弱な役柄のため、野村宏伸はオファーを次々と断ります。

自分が納得した2枚目や、ハードボイルドの役の主演オファーだけを受けた結果、ドラマは低視聴率を連発し、放送回数を減らされたこともあったんだとか。

世間が思うのは、野村宏伸=榎本なので、野村宏伸に重ねる像のあまりのギャップにファンはついていけなかったのではと言います。。

低視聴率を連発する野村宏伸は、業界内で「野村宏伸って数字持ってないね」と言われてしまいます。

そういう時は、ドラマの2番手や3番手を務め存在感を出してから主演に戻るという方法があるものの、見栄を張って自分のステータスを下げられない野村宏伸は、そんなチャンスのオファーもことごとく蹴ってしまったのだそうです。

見栄が第一の野村宏伸にとっては、作品の内容や役柄は二の次で、自分が認めた同ランクの共演者じゃないと出ないなど、他人を意識してばっかりのプライドだけが高いだけの俳優となってしまっていました。

そんな野村宏伸に対し、当然のことながらドラマの出演オファーは激減していきます。

プライベートでは1999年に、34歳でスタイリストをしていた彼女と結婚をし、その後、2人の子どもを授かります。

そうなって初めて、野村宏伸の中には、家族を養うために脇役もやろうという心境の変化が芽生え始めます。

脇役であれば、簡単に仕事がもらえるとナメた考えの野村宏伸の前に、新たな問題が立ちはだかります。

当時のドラマ界は、舞台出身の演技力がぴか一の実力派俳優たち、例えば、上川隆也、佐々木蔵ノ介、堤真一、寺脇康文、西村雅彦、古田新太等、彼らが頭角をあらわしてきた時期だったのです。

キャリアや演技力で劣る野村宏伸は苦戦を強いられることとなってしまいます。
ドラマでは主演よりも実は、脇役の方が競争率が高く、実力も問われる配役だったことに気づきます。

野村宏伸の負の連鎖は続きます。

プライベートでも、見栄から気前よく友人たちにお金を貸していた野村でしたが、その総額は1億円にものぼっていましたが、貸したお金は1円も戻ってきませんでした。

野村宏伸 40歳でほぼ無職のアルバイト生活へ

全盛期とは比べものにならないほど収入も激減し、当時の野村宏伸は、仕事は月にあっても1~2回、家でゴロゴロするだけの毎日となってしまいます。

生活費や家のローンの追われ、不安になった嫁は野村に質問をするも、野村は見栄から大丈夫と言ってしまいますが、実は知人に恥を忍んで1000万円を借りなければいけなくなっていました。これまで知人に戻るあてのないお金を貸してあげていたことは嫁には告げておらず、それが発覚したことで、夫婦間はぎこちなくなり、ケンカをするようになり、2009年についに離婚となってしまいます。

野村は豪邸を売り払い、なんとか借金を返済しゼロの状態とんなりました。

全てを失った野村宏伸はアルバイトで生活するようになります。

心配してくれた友人が紹介してくれた中古車の買い付けのバイトだったそうですが、体を動かすことで離婚の悲しみをぬぐいさることができたと言います。

仕事と家族を失い1人暮らしで考える時間がたくさん出来た野村は、役者への自分の想いを再確認し、今の自分は負け組だけど、泥水をすすってでもいいからもう一度這い上がろうと思うに至ります。

自分は負け組だと認め、見栄もプライドも捨てることができた瞬間でした。




野村宏伸 田原俊彦との再会で再びチャンスを掴む

そんな野村宏伸の運命を変えた仕事が舞い込んできました。

バラエティ番組で田原俊彦と再会するという企画でした。田原俊彦と野村宏伸が「教師びんびん物語」以来の再会をしようというものでした。

これまでの野村であれば、拒絶していた榎本としてのオファーで、しかもバラエティ番組への出演でしたが、その時の野村にもう迷いはありませんでした。どんなオファーであれ、ありがたく受けることにしました。

再会した田原俊彦さんは、「教師びんびん物語」の時と変わらないノリでフランクに接してくれたそうです。

そして、野村宏伸は、この時、役者を始めた頃のガムシャラな自分を思い出し、こう気づきました。

「野村に役者としての個性を与えてくれたのは「びんびん物語」の榎本であり、あの役があったからこそ、今の野村がある」と。

そして、田原俊彦は、役者として苦しい状況にある野村宏伸に、こんな言葉をかけてくれました。

独りでやっていこうとする姿勢に敬意を表する役者として『宏伸らしさ』を貫いてほしい

榎本も含め、全てを受け入れて、カッコつけずに自分らしさを貫いてほしいとのメッセージであると野村宏伸は受け取り、この田原の言葉に背中を押されたと言います。田原俊彦には感謝しかないと。

そして、この仕事が野村宏伸の人生のターニングポイントとなりました。

この番組を見ていたドラマのプロデューサーから野村宏伸にTBSドラマ「とんび」(2013年1月~3月)の出演オファーが届いたのです。バラエティでの野村の振る舞いが役柄にぴったりと、お寺の息子・照雲の役のオファーでした。

当時、このオファーには条件がついていたのだそうです。それは、ふっくらとした体格をダイエットで絞ること。

野村宏伸は3ヶ月で17キロのダイエットをし、役を掴みます。

高視聴率を記録した「とんび」での野村が演じた照雲は、主演のヤス(内野聖陽)の幼なじみ役で、ヤスの息子の 旭を親同然で見守る役どころでした。

野村は番組の中で、悲しむヤスに向けたこのセリフを自分自身への言葉として胸に刻んだのだそうです。

寂しさを恐れるな。親だったら自分の寂しさを子どもにのっけるな。

この役に出会えたことは、野村自身の宝になったと言います。

それまでは、自分の子ども達に父として胸を張って俳優の姿を見せることが出来なかった野村でしたが、「とんび」で初めて子どもたちから、「見たよ」「良かったよ」と言ってもらえたんだそうです。

「とんび」の出演をきっかけにオファーも増え、ドラマの世界へと復帰することができたのでした。

どん底におちた野村宏伸からの教訓

「成功」の度に「初心」に戻ること

18歳の時の映画デビューや「教師びんびん物語」で得た「初心」を20代の内に忘れてしまった。お金や仕事のランクばかり気になって、いつしか本質を見落としていた。自分は人とは違う、自分は勝ち組だ、と人と自分を比べて見栄を張り続けてきてしまった。いつも初心を忘れずに謙虚に目の前の壁に全力で向き合う、それを続けられる人が理想を実現できるんだと。

野村は仕事のオファーに好き勝手に愚痴を言ってきたが、全てを失ってこのことを気づいたと。

仕事とは人から求められる事に最大限のパフォーマンスで応える事

自分のやりたいことだけをやるならば、それはただの自己満足。誰かに求められてこそ仕事になる。自分の力を必要としてくれた人に対して最大限のパフォーマンスを見せるのが自分がやるべき仕事なのだと改めて実感したとのこと。

一度の成功で勘違いせず、失敗しても諦めず、常に前を見て挑戦してください。僕も挑戦し続けます。







コメント

  1. 野村宏伸さんは、私が東京都府中市の区画整理事業の測量会社に就職したときに、入れ替わりでアルバイトに来ていた学生さんだとの事で、薬師丸ひろ子さんの相手役に決まってアルバイトをやめたという事を上司に聞きました。
    懐かしい昔話を思い出しました。