五十川敦子(ホステス)の顔写真画像やブログが判明!実家は歯医者のお嬢様だった

ニュース

高知東生(51)と一緒に逮捕されたホステスの五十川敦子(いそかわあつこ)の顔写真画像やブログが判明したとして話題になっています。

これまでは逮捕後の移送時のうつむいた画像しかありませんでしたが、レースクィーンやモデルとしての芸能活動をつづったブログ「あつこ☆Diary」の存在が明らかとなりました。

五十川敦子の卒アルやレースクィーン時代の顔写真画像や動画、身長、スリーサイズなどのプロフィールや出身高校、歯科医院を営む実家についてまで見ていきたいと思います。

五十川敦子(ホステス)のブログと顔写真画像が判明!

isokawaatsuko-a

五十川敦子(以下敬称略)は、1982年8月11日生まれの現在、33歳です。

身長 164㎝
スリーサイズは、B88、W56、H88
靴のサイズは23.5cm

2006年から「あつこ」としてフォーラムエンジニアリングギャルとしてレースクイーンの活動をしていて、その様子が五十川敦子のブログ「あつこ☆Diary」で紹介されています。

isokawaatsuko-b

こちらは五十川敦子のレースクイーン時代の動画になります。

五十川敦子は、現在も登録制の事務所フォルテシモに所属していて、モデルとして撮影会を行っていたり、リポーターのような芸能活動を続けてました。

isokawaatsuko-c
blog.livedoor.jp

その一方で、3年前からは、東京西麻布の高級クラブでホステスとして働きはじめ、最近になって横浜中区の系列店に移動して働いていました。

ホステスの方は普通は源氏名では本名を使いませんが、五十川敦子の場合は、元レースクイーンだったのが1つのウリだったようで、レースクイーン時と同じ「あつこ」と名乗っていました。

五十川敦子(ホステス)の実家は横浜市旭区の歯医者(開業歯科医)のお嬢様だった

五十川敦子の実家は歯科医院ということでしたが、詳しくは、横浜市旭区の「五十川歯科医院」であることが判明しました。

五十川敦子の父親は、地元の歯科医師会会長務める名医で、近所でも評判で予約でいっぱいとなるほどだそうです。

裕福な家庭で育った五十川敦子は、三姉妹の真ん中で、神奈川県内の有名女子高校を卒業したお嬢様でした。

こちらが五十川敦子の高校卒業アルバムの写真画像になります。

地味めのブレザーの制服と三つ編みの髪、そして、校則の厳しい高校ということから、五十川敦子の通っていた神奈川県内の有名女子高校は、横浜雙葉中学高等学校と推測されます。

五十川敦子は、中学までは大人しい少女だったそうですが、高校になってギャル化していったのだそうです。

五十川敦子との関係について、高知東生は、「10年ほど前に知人のパーティーで知り合った知人の女性という認識」と供述していますが、その後の報道で、今から7年前の2009年の春には2人はすでに関係があり、当時、五十川敦子は、歯医者の父親に買ってもらった1500万円のベンツのCクラスAMGに乗って、頻繁に高知東生に会いに行っていたそうです。

その前年の2008年1月には、五十川敦子のブログ「あつこ☆Diary」にて、高知東生が経営する加圧トレーニングT-Bodyを五十川敦子が頻繁に訪れている様子が書かれていました。

更に、五十川敦子は、以前は東京西麻布のクラブで働いていましたが、高知東生が横浜にエステサロンをオープンしたと同時期に、横浜中区の系列店に勤務先を変更していて、この横浜の店の近くでは、最近、高知東生の姿が頻繁に目撃されるようになったと言います。

麻取によって、五十川敦子と高知東生は、逮捕された横浜市南区のホテルを過去にも訪れていることや、それ以外のホテルでも複数回会っていることも確認されています。

現在はHPが削除されてしまいましたが、高知東生が理事長、高島礼子が副理事長として起業した社団法人「トータルビューティー協会」では、五十川敦子は賛助会員としてトップにその名前を連ねていました。

賛助会員とはスポンサーのようなもので、五十川敦子は、高知東生の社団法人にお金を寄付しているか、超VIPのお客様としてお金を落としてくれているかのどちらかになります。

ただの知人というのは通用しないですね。

高知東生は、この期に及んでも、高島礼子さんとの関係を続けるため、五十川敦子とはただの知人と言い張っているのでしょうか。

一方、五十川敦子もお嬢様なのに、なんでこんな世界に入ってしまったのでしょうか。

親の紹介で同じく裕福な家庭へ嫁ぐこともできたでしょうし、生きていくためなら働く必要もないお嬢様です。

自分の存在意味や、豊富にあるお金を使って、快楽の道へと進んでしまったのでしょうか。

レースクィーン時代の芸名「あつこ」として活動しているときから、五十川敦子は、自分の過去や苗字を明かすことは無かったといいます。

身元を明かすことで、地元の歯科医師会会長である父親に迷惑がかかるという気持ちがあったのかもしれません。

インタビューで、歯医者の父親は、何も知らなかったと謝罪の意を述べていましたが、今後、五十川敦子が薬と手をきり、新しい真っ当な人生を歩んでくれることを期待したいと思います。

コメント