御歳74歳の橋幸夫さんの超熟年離婚が報道され話題となる中、50代の女性と早くも再婚をしていたとのニュースが飛び込んできました。
47年間連れ添った嫁の凡子さんとの浮気や土下座ありの夫婦の壮絶ドラマや、離婚の真相が噂されていましたが、結局は浮気が原因だったのでしょうか。橋幸夫さんは1971年に結婚後、子供を授かった頃から浮気癖が始まり、それは74歳になる現在も続いていたようです。
橋幸夫に再婚報道!熟年離婚してすぐに再婚していた
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— 文春オンライン[文藝春秋] (@bunshun_online) 2018年3月7日
橋幸夫さんの熟年離婚が報じられたのが、先週3月1日(金)のことでした。
橋幸夫さん74歳、嫁の凡子(なみこ)さんは70歳。
1971年に結婚して以来、47年間続いた夫婦生活に昨年末終止符を打っていたことが明らかとなりましたが、橋幸夫さんは既に再婚していたことが報じられ、改めて驚きの声が上がっています。
橋幸夫さんの再婚相手は50代後半の明るく綺麗な女性だそうで、橋幸夫さんとは講演会の関係で出会ったとのこと。
橋幸夫さんの所属事務所も「既に入籍をしているのは事実です」と回答しています。
橋幸夫さんは過去のインタビューにて、
「人生の最後は、ひっそり1人で自由な生き方をしたい」
と語っていたそうですが、
橋幸夫さんにとって74歳の現在はまだ人生の最後ではなかったのでしょうか、それとも、1人になってみて淋しさを感じ再婚となったのでしょうか。
橋幸夫さんは、47年間の結婚生活の中でも浮気が止まらなかったエピソードが多く語られています。
橋幸夫の熟年離婚の原因は浮気なのか
橋幸夫さんは、1943年、東京都荒川区で6男3女の9人兄弟の末っ子として生まれました。
父親が反対する中、歌手デビューへの道を開いてくれたのは母親のサクさんだったといいます。
1960年の17歳の時に「潮来笠」で歌手デビューし、そのデビュー曲がいきなり爆発的ヒットとなり、レコード大賞新人賞を受賞します。1962年には、若手女優として人気の吉永小百合さん(当時はまだ女子高生でした)とのデュエット曲「いつでも夢を」でレコード大賞を受賞します。
たまにはいい夢でも見たいもんだね。
おやすみなさい。#吉永小百合 #橋幸夫 / いつでも夢を #シングルレコード pic.twitter.com/6D1Q0QXz6I— ちっこ (@Chikko412) 2018年1月24日
橋幸夫さんは、舟木一夫、西郷輝彦とともに元祖御三家と呼ばれる昭和の大スターの地位に昇りつめました。
元嫁の凡子(なみこ)さんとの出会いは、1969年、ハワイ行きの飛行機の中でした。
凡子(なみこ)さんは日本航空国際線の客室乗務員で、橋幸夫さんの大ファンであることを知っていた同僚が、乗り合わせていた橋幸夫さんに紹介したのがきっかけだったそうで、お互い一目惚れで、橋幸夫さんは帰りの飛行機を凡子(なみこ)さんが乗っている便に変更するほどで、当時、「大空を翔る恋」と報じられたそうです。
凡子(なみこ)さんはショートカットの美人で脚が細くスタイル抜群で、2人は1970年に婚約し、1971年1月に結婚します。
人の結婚式のビデオほど…「橋幸夫 凡子結婚披露宴 よろこびの記録」←レコードですw #歌謡選抜 pic.twitter.com/ETxDLHA7Sk
— キネコ (@kinekoV) 2016年4月10日
当時、人気絶頂期の橋幸夫さんの結婚式ですから、披露宴の招待客は1000人を数え、その中には昭和の大スターの石原裕次郎さんや美空ひばりさんが名前を連ねていたそうです。
結婚3年目の1973年には長女の奈央さんが誕生し、7年目の1977年には長男の龍吾さんが誕生しますが、この頃から、橋幸夫さんの浮気が始まります。
それまで日帰りだったゴルフが泊りがけとなることが多くなったり、橋幸夫さんは「外に好きな人ができた」と堂々と告白することがあったのだそうです。
子供を産むと嫁は彼女ではなく母親となってしまうのでしょうか。
橋幸夫さんは脇も甘く浮気がばれるエピソードにも事欠かなかったようで、
例えば、お葬式の弔問に出かけ、自宅に帰ってきたのは翌日だっため、嫁には故人の枕元に一晩中いたと説明したのですが、故人は有名人だったため、お葬式の様子はテレビで放送されており、そこには橋幸夫さんが弔問に訪れ、そして、その場から帰る様子がバッチリ写っていたとのこと。弔問の日までも浮気をしてしまうのはかなり重症のようにも見えますね。
浮気だけでなく、橋幸夫さんの実母のサクさん(明治34年生まれ)が認知症となった時に介護をしてくれたのは嫁の凡子(なみこ)さんでした。
サクさんの認知症の症状が出始めたのが1984年頃で、20年来のお手伝いさんに「金品を盗まれた」とう訴えから始まったのだそうです。介護のためサクさんと橋さん家族は同居を始めますが、徘徊などの症状を見せる母親の介護を嫁の凡子(なみこ)さんは1人で看続け、そんな中でも橋幸夫さんは浮気を続けていたといいます。1990年、母親のサクさんは享年88歳で亡くなります。
橋幸夫さんと嫁の凡子(なみこ)さんの間で離婚危機となったことが過去1回ありました。それは結婚29年目の2000年のことで、親も見送り、子供も独り立ちしたある日、凡子(なみこ)さんは「あなたは、私と一緒に生きようという気がないのよ」と自分の気持ちを告げたのだそうです。浮気はあったものの生活を困らせたわけじゃない、と取り合わない橋幸夫さんとの話し合いは1年以上続いたのだそうです。
長い話し合いを続けた結果、橋幸夫さんは、嫁の凡子(なみこ)さんが橋さんの女性問題で深く傷ついていることに気付き、土下座をして謝罪し「「結婚30年にして、本当の夫婦を始めよう」となったのだそうです。
ですが、今回、結婚46年目の2016年に別居となり、その1年後の2017年の年末に47年間の結婚生活に終止符を打ち離婚が成立しました。
橋幸夫さんは財産分与の代わりに都内の貸しスタジオや自宅の入るビルなどの不動産を凡子(なみこ)さんの名義とすることで、円満離婚となったと報じられていました。
離婚については、嫁の凡子(なみこ)さんから切り出したことだそうで、そろそろ自由になりたいと橋幸夫さんに告げたといいます。
橋幸夫さんも凡子(なみこ)さんの意思を最大限尊重する形での離婚だったとのことです。
そんな美談にもとれる熟年円満離婚が報じられたところに、橋幸夫さんの再婚話が飛び込んできました。
既に入籍を済ませている50代の女性とは、橋幸夫さんの講演会活動で知り合った人とのことで、この数か月での出会いではないことが明らかです。
元嫁の凡子(なみこ)さんと別居が始まった2016年以降の出会いであったのか、それとも、浮気を繰り返す橋さんですから、その前からのおつき合いだったのかもしれません。
橋幸夫さんは、すでに新しい個人事務所を設立し、入籍した現在の嫁名義で、温泉地に中古マンションを購入するなど、元嫁と別れて寂しい生活を送る暇もなく、新しい女性との新しい生活が既に始まっているようです。
橋幸夫さんの浮気人生はいつまで続いていくことなのでしょうか。
コメント
義理の親の介護と夫の浮気で苦労させられ、これからの人生に幸多かれと、凡子さんに応援します。