女優の樹木希林さんが9月15日に死去されていたことが報じられました。
樹木希林さんは2012年に全身がんを公表していて、
2004年の乳がん発症以降、闘ったがんの箇所は20にも上るのだとか。
個性派女優として知られる樹木希林さんは、
若いころからファンキーで、芸名を番組で売ってしまうぐらいでした。
旦那は同じくファンキーなロックンローラーとして知られる内田裕也さん。
そんな樹木希林さんと内田裕也さんの若い頃の画像や、
以前の芸名や現在の芸名・樹木希林の由来とともに、
内田裕也さんと離婚することなく添い遂げた、その半生を振り返りたいと思います。
樹木希林は若い頃からファンキー!芸名を売ってしまっていた!
樹木希林さんの生年月日は、
1943年(昭和18年)1月15日生まれの享年75歳。
最近では、
6月8日に公開された映画「万引き家族」に出演していて、
樹木希林さんが演じる祖母・初枝が、
パチンコ屋で大胆に万引きするシーンをYouTubeで観ることが出来ます。
樹木希林さんの表情に仕草がほんと自然すぎですよね。
今でこそ、年齢的にもおばあさんですが、
樹木希林さんは若い頃から老け役が当たり役でした。
こちらは、
1975年のドラマ「寺内貫太郎一家2」で、
きんバアさん役を演じる樹木希林さんです。
西城秀樹さんとの掛け合いがめちゃおもしろいんですが、
当時の樹木希林さんは、なんと、32歳。
32歳の女優さんと言うと、今だと、
石原さとみさん、
北川景子さん、
が1986年生まれの32歳なんですよね。
樹木希林さんは、そんな歳で、
当時、43歳の小林亜星さんが演じる主人公・貫太郎の母親役で、
髪は脱色で老けメイク、
声色を変えて撮影に臨んでいました。
でも、手はごまかしようがない、ということで、
両手ともに、指ぬき手袋をはめていました。
そういった細かいところまで配慮されて演じたおばあさんは、
おばあさんらしくなくコメディタッチで動き回るし良くしゃべるw
部屋に貼ってある沢田研二のポスターを見て、
「ジュリイイイ~!!」
と身もだえするのが毎度のお約束となりますが、
この身もだえは、
樹木希林さんのアドリブだったのだそう。
そんな樹木希林さんの当時の芸名は、
樹木希林ではなく「悠木千帆」でした。
芸名を変えたきっかけも破天荒で、
1977年に放送された黒柳徹子さんの番組で、
オークションコーナーがあったのですが、
樹木希林さんは「売るものが無い」として、
ご自身の芸名「悠木千帆」を売ったのでした。
「悠木千帆」の名前は、2万2000円で売れて、
樹木希林さんは今の芸名に改名したとのこと。
樹木希林の名前の由来については、
樹木希林さんは「キ」という音が好きだったそうで、
木が集まって希(まれ)なる林になる。
つまりは、
「人間一人では何も出来ず、
力を寄せて大事を成す」
という意味があるのだそうです。
そして、この年、
樹木希林さんは、ドラマ「ムー一族」で、
こんどは郷ひろみさんとの共演で話題となります。
翌年1978年には、
「ムー一族」の挿入歌で、
郷ひろみさんと樹木希林さんのデュエット曲、
「リンゴ殺人事件」が、
TBSの「ザ・ベストテン」で3週連続1位となります。
時代を代表する歌手や俳優さんに見劣りすることなく、
自分ポジションを持っている女優さんでした。
そんな樹木希林さんには結婚歴が2回あります。
樹木希林と内田裕也の若い頃の画像がファンキーすぎる!
樹木希林さんの1度目の結婚は1964年で、
相手は俳優の岸田森(きしだしん)さんでした。
岸田森さんは、
女優の岸田今日子さんの従弟で、
超個性派の天才俳優として知られている人物です。
岸田森さんと樹木希林さんは、
1960年に文学座付属演劇研究所に入った同期で、
結婚当時、岸田森さん25歳、樹木希林さんは21歳でした。
1966年、2人は文学座を辞めて、
草野大悟らとともに「六月劇場」を結成しますが、
その2年後の1968年に、2人は離婚をしています。
岸田森さんは、離婚後、
バーのママと再婚したそうで、
離婚原因は岸田森さんの浮気だったのでしょうか。
岸田森さんとの離婚に際し、
樹木希林さんは、
「あの人も普通の人だったのよ」
と語ったといいます。
そんな樹木希林さんが、
その後、結婚したのが、内田裕也さんでした。
1973年10月のことでした。
当時、樹木希林さん30歳、
内田裕也さん33歳でした。
そして、こちらが新婚時の別のツーショット画像です。
めっちゃラブラブでロックンロールですやん!な2人ですが、
樹木希林さんは、
結婚1年半後に別居に踏みきります。
そのきっかけは、
娘の也哉子さんを妊娠したことでした。
樹木希林さんは1976年2月11日に、
娘の内田也哉子さんを生んでいるのですが、
子供がいると、
旦那の内田裕也さんとの生活は成り立たないと考え、
妊娠が分かった時に別居を決意したのだそう。
樹木希林さん曰く、
旦那の内田裕也さんのことw、
“回遊魚みたいな人で、ロックンロールしてるから”
と表現しています。
内田裕也さんは、
あまり家にも帰らず、
会うのは月に1回程度だったそう。
也哉子さんの妊娠を告げた際、
内田裕也さんは、
「本当に俺の子か?」
と聞いたそうで、
結婚後の2人の関係がどんなものであったかを、
表現している言葉かなと思います。
別居をしたものの、
樹木希林さんは、
内田裕也さんと離婚することはありませんでした。
それは生活費のため?
いえいえ、そんなことはなく、
内田裕也さんが稼いだお金は、
内田裕也さんがすべて使っていたとのこと。
それにも関わらず、
内田裕也さんに関する税金や保険料は、
樹木希林さんが払っていました。
樹木希林さん曰く、
内田裕也さんは、
「私にとっては大事な重し」
と言います。
それはどういう意味かというと、
樹木希林さん自身にも破天荒なところがあるので、
内田裕也さんの面倒をみること=重しが、
樹木希林さんをまともに生きさせてくれている、
ということなのようです。
そんな内田裕也さんについて、
樹木希林さんはこう発言しています。
「すべてが好きです
何もかもが好きです
生まれ変わったら出逢わないようにしないと、
出会ってしまったらまた好きになって、
大変な人生を送ることになると思うから」
樹木希林さんにとって、
内田裕也さんはどれだけ特別な存在だったことなのか。
樹木希林さんが、
別居しつつも面倒を見続けてきた、
旦那の内田裕也さんについて、
樹木希林さん亡き後、大丈夫なのかが心配です。
内田裕也さんは、樹木希林さんの住む自宅から、
車で5分の近さに住んでいながら、
樹木希林さんの最期には自宅に行っていません。
現在の内田裕也さんは、杖が手放せないどころか、
車椅子を使う生活をおくっているとのこと。
樹木希林さん亡き後は、
本木雅弘さんと也哉子さんが引き取って、
面倒を見るようになるようです。
樹木希林さんのご冥福をお祈り申し上げます。
コメント