GTO女優、希良梨は子宮頸がんに負けず子供を出産し現在は母として強く生きていた【画像有】

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希良梨(きらり)さんは、反町隆史さん主演のドラマ「GTO」の生徒役で話題を集めた女優でしたが、人気絶頂の20歳の時に、突如、芸能界を引退して表舞台から姿を消してしまいました。

7月22日放送の「爆報THEフライデー」で、現在、35歳となった希良梨さんが出演し、芸能界引退の原因となった子宮頸がんについて、そして、結婚後に2度の流産を経験し、3度目の妊娠時には子宮頸がんの再発の悲劇に見舞われるも、治療を遅らせて、子供を出産する決断をした半生を明かしてくれました。

GTO女優、希良梨(きらり) 人気絶頂の20歳で芸能界引退

希良梨(きらり)さんは、1980年10月23日沖縄県生まれで、本名は豊本希良梨(とよもと きらり)。
6歳まで沖縄で過ごした希良梨(きらり)さんは、シングルマザーの家庭で育ちました。

家庭は決して裕福ではありませんでした。
そんな母を助けたいとの思いから希良梨(きらり)さんは、1997年、16歳の時に芸能界デビューします。

1998年には反町隆史さん主演のドラマ「GTO」に出演し、ボーイッシュで少しやんちゃな女子高校生の水樹ナナコ役でブレイクします。

更に、同年には映画「ラブ&ポップ」で主演4人の中の1人としてスクリーンデビューしました。
その共演者には当時18歳の女優、仲間由紀恵さんの姿がありました。

希良梨さんは、仲間由紀恵さんと共に10代の若手トップ女優の1人として注目を浴び、芸能界での輝かしい将来が約束されていました。

演技ができる実力派女子高生女優として、ドラマや映画だけでなく、CMや雑誌などにも活躍の場を広げていました。

しかし、希良梨さんは、20歳の時に突如、芸能界引退を発表します。
様々な憶測が流れましたが、引退の理由は語られることなく希良梨(きらり)さんは、表舞台から姿を消してしまいました。

GTO女優、希良梨(きらり) 19歳で子宮頸がんを発症していた

元々、生理痛が重かった希良梨さんですが、19歳のある日、あまりのひどさに病院を訪れたところ、医者から子宮頸がんであることを告げられたのでした。

子宮頸がんとは、ウイルスが原因で子宮頚部と呼ばれる子宮の入り口に発症するがんで、年間およそ1万人の女性が発症し、約2700人もの女性が命を落としています。

一般的に子宮頸がんにかかる女性は20代後半から増加し、最も多いのは40代で、10代の女性で発症する確率はなんと10万分の1なのでした。

がんは発症した年齢が若いほど転移がしやすいため、手術は一刻の猶予もありませんでした。

まず行われたのが子宮内の細胞の採取する検査でした。
仮に、がん細胞が子宮にまで広がっていれば、子宮を全摘出しなければなりません。

希良梨さんが何よりも辛かったのは、組織をパンチする時の痛みだったそうで、それに加えて、まだ19歳の希良梨さんは、その恥ずかしさから心にも大きな傷を負ったと言います。

幸いにも希良梨さんのガン細胞は子宮内部には達しておらず、子宮全摘出の一歩手前であったため、希良梨さんに行われたのは、子宮頚部を円錐型に取り除く円錐切除手術でした。

希良梨さんは、通常4cmある子宮頚部を3cm切除し、手術は無事成功しました。

しかし、希良梨さんの苦しみは終わりませんでした。

GTO女優、希良梨(きらり) 再発の恐怖と偏見との闘いに芸能界引退する

19歳だった希良梨さんにとって、がんになったという衝撃は重く、必要以上に再発を恐れる日々を送っていました。

更に、子宮頸がんはデリケートな部分のガンなだけに、「性行為の代償」など間違った偏見で語られることが多く、10代の清純派女優である希良梨さんにとって、芸能界復帰後のイメージダウンは避けられませんでした。

こうして、身も心もボロボロとなった希良梨さんは、子宮頸がんの手術を公表することなく、人気絶頂の中、芸能界から姿を消してしまったのでした。

GTO女優、希良梨(きらり) 台湾へ渡り結婚へ

芸能界を引退後、希良梨さんは逃げるように海外を放浪していました。

25歳の時に台湾に移り住むと運命の出逢いを果たします。
台湾の映画プロデューサー、ANKOさんと結婚したのでした。

がん発症から6年、ようやく心安らぐ女性の幸せを手に入れることができました

そうして、26歳の時に妊娠がわかり幸せの絶頂にいたその時でした。
妊娠6週目の定期検診の時、医師から流産していることを告げられてしまいます。

流産の原因の1つに、希良梨さんが20歳の時に受けた子宮頸がんの手術が考えられました。

GTO女優、希良梨(きらり) 子宮頸がん手術の後遺症で流産

希良梨さんの場合、円錐切除手術を行えば、将来、妊娠した時に、早産や、流産する可能性が3~4倍に増えることを医師から告知されていたのでした。

「もう終わったな。全部終わったんだな私」と思った希良梨さんですが、シングルマザーの家庭で1人っ子だったということもあり、どうしても子供が欲しかったといいます。

その2年後、希良梨さんは28歳の時に再び妊娠しますが、妊娠6週目で2度目の流産をしてしまいました。

それでも諦めず半年後、3度目の妊娠をします。

妊娠8週目、今回はお腹の赤ちゃんは順調に成長してくれていました。
今まで1度も聞けなかった赤ちゃんの心臓の音も聴くことができました。

「早く会いたいね、お母さん頑張るからね」

希望に溢れる希良梨さんにまたもや悲劇が訪れます。

GTO女優、希良梨(きらり) 3度目の妊娠時に子宮頸がんが再発

3度目の妊娠では、赤ちゃんは順調に成長してくれていましたが、希良梨さんの子宮頸がんが再発したことを医師から告げられたのでした。

希良梨さんの子宮頚部に再びがんがみつかったのでした。
当時のレベルはクラスⅠからクラスⅤの6段階の内の4段階目のクラスⅢb 高度異形成というもので、すぐに手術の必要がありました。

ここで、希良梨さんは苦渋の決断を迫られます。

希良梨さんは20歳の時の円錐切除手術によって、子宮頚部が1cmしかありませんでした。

そもそも子宮頚部は子宮内で胎児を支える役割をしており、再手術をすれば1cmしかない子宮頚部はほぼなくなり、子供を支えられない体になることを意味していました。

子供を出産した後では手遅れになる可能性があるため、希良梨さんの命を優先するなら、お腹の子供は諦めるようにと迫られたのでした。

自分の命を優先して、子供を諦めてがんの手術をするのか、自分の命を顧みず、がんの手術を遅らせて子供を産むのか、あまりにも辛い二者択一をせまられました。

希良梨さんの旦那は、子供は諦めても希良梨さんの命を優先してほしいと訴えましたが、希良梨さんはどうしても子供を産みたいと主張。夫婦で話し合い悩みぬいた結果、希良梨さんは子供を産むことを決断します。

この時、出産予定日までには、まだ8カ月もありました。

日々、おそってくる不安とがんの恐怖。しかし、少しづつ大きくなるお腹が希良梨さんに勇気をくれました。

GTO女優、希良梨(きらり) 子宮頸がんに負けず子供を出産

父親のいない家庭、19歳で襲われた子宮頸がん、芸能界で人気絶頂からの転落、振り返れば辛いことが多い人生だった希良梨さんにとって、お腹の中の赤ちゃんは、ようやく見つけた希望の光だったのでした。

あの決断から7年、、、

希良梨さんの長男、スカイくんは、現在、7歳の小学校2年生になっていました。

希良梨さんは、子宮頸がんに負けることなく元気な赤ちゃんを出産したのでした。

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「まさかできるとおもっていなかった子供なので、目に入れてもいたくないですね、もう奇跡の子供ですから」と語る希良梨さん。

幸い希良梨さんのがんは進行せず、今も完治はしていないものの、経過を見ながらガンと闘いつづけています。

希良梨さんが母になって今、思うこととは、、

「私が死んだら、お母さんをやってくれる人もいないし、何があっても(子供を)守っていくつもりです」

10代で子宮頸がんを発症した女優、希良梨さんは、その困難を乗り越えて、今、母として強く生きていました。

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