小林麻央さん死去…病院での誤診や腹水写真、ブログKOKOROでの最期の顔画像や海老蔵の会見動画まで乳がんと闘った日々を振り返る

小林麻央さんが2017年6月22日深夜に死去されたことを旦那で歌舞伎役者の市川海老蔵さんが発表しましたが、小林麻央さんの乳がんに纏わる2014年2月に受けた人間ドックから病院での誤診、非標準治療や再び病院にてステージ4の余命3ヶ月を宣告されたこと、その後、奇跡を成し続けるものの、市川海老蔵さんに「愛してる」と言って息を引き取った最期の日までを振り返ってみたいと思います。




【2014年2月~2016年春】腹水写真画像から見た乳がんステージ4の症状とは

小林麻央さんの腹水写真が話題となったのは、フライデーが2015年7月末にスクープした小林麻央さんと市川海老蔵さんの写真画像でした。

小林麻央さんと海老蔵さんはいつもの夜のデートコースである代官山のスタバで飲み物を買って、自宅の周辺を散歩しているときに撮られたものでした。

小林麻央さんは、その前年の2014年2月に、市川海老蔵さんと一緒に受診した人間ドックで乳がんの疑いが持たれ、すぐに港区にある大病院(虎の門病院と思われる)で精密検査をしますが、この時、がんではなく乳瘤と判断されます。良性にも関わらず、念のため半年後の経過観察を指示され、そこから2ヶ月遅れての8か月後の2014年10月に再び違和感を感じた麻央さんが再検査を受けたところ、がんが発見されました。この時、小林麻央さんの乳がんはすで腋窩リンパ節に転移が多数みられ、乳がんのステージ3と診断されたと思われます。

このフライデーの写真が撮られた時は、小林麻央さんが乳がんの治療を始めてから9か月後の姿ですが、小林麻央さんは、乳がんが発覚した2014年10月当初、抗がん剤によってがんを小さくしてから手術で切除する「標準」の治療を提案されますが、乳房の温存を望んでいた小林麻央さんは、手術に難色を示し、結局、この病院を去ることになります。

小林麻央さんはその後、2016年の春までは、非標準治療を中心に治療を続けていたようで、一説では、元横綱・千代の富士や、女優の樹木希林さんも受けたことがあるという放射線治療を受けていた可能性が高いとみられます。放射線治療のメリットは手術での切除をすることなく乳房をそのまま残せますので、当時の小林麻央さんの思いに沿った治療だったと思われます。

放射線治療の場合、副作用は主に放射線を当てた場所に起こると言われています。写真画像の小林麻央さんは見ての通り自毛がありますので、この時期、抗がん剤治療を受けていなかったことの裏付けになるかと思います。

2016年1月3日には「市川海老蔵に、ござりまする」というタイトルの番組がテレビで放送され、長男の勸玄(かんげん)くんの歌舞伎での初お目見えの裏側の完全密着取材ということで、2015年11月現在の麻央さんの姿が映し出されました。

放送を見た人からは、麻央さんが「太ったのでは」、「やつれた」、「老け込んだ」、などのコメントが入り、全体的にふっくらとして、お腹周りがわからないような服を麻央さんが着ていたことから、3人目を妊娠しているのではないかと噂にもなりました。

お腹がふっくらとしていることから腹水では?とも言われていましたが、乳がんからリンパや肝臓へ転移をしたことによる肝機能の低下やリンパ系の異常、もしくは、それらの箇所に受けた放射線治療の影響だったのかもしれません。

この後、2016年春になり、小林麻央さんは乳がんの症状が悪化し、再度、受診(聖路加病院と思われる)しますが、その時には、乳がんが皮膚から飛び出る「花咲き乳がん」の状態とともに、肺や骨への転移を併発しているステージ4であり、余命を宣告されていた可能性がでてきました。

この段階では乳がんの根治は不可能であり、延命を目的とした抗がん剤治療に移ったものと思われます。




【2016年春~2017年6月】小林麻央の乳がんはステージ4で余命3ヶ月を宣告されていた

フライデーは、海老蔵さんが2016年6月9日に会見を開く2日ほど前に、小林麻央さんが医者から「夏までもたない(余命3ヶ月)」と告げられたため、病院から自宅に戻った、との情報が市川家に近い関係者の間で流れていたと報じていました。

また週刊新潮は、成田屋の関係者の話として、小林麻央さんは2016年6月頃には、がんの症状が悪い方向へ進んでしまって、とても痩せてきてしまっていたと伝えていました。

姉の麻耶さんが5月19日にダウンしてしまったり、6月1日に市川海老蔵さんが成田山新勝寺で得度を受けたのも、小林麻央さんの状態が悪くなってしまったのが理由だと言うのです。

その後、姉の小林麻耶さんは8月まで休養することを明かしましたが、5月から8月末までの3ヶ月間の休みとなり、余命3ヶ月と数字がぴったり一致しているため、その関係性が噂されることとなりました。

当時の小林麻央さんの乳がんの症状は、患部から膿が出るなどしており、勸玄くんが不満を言ったため、海老蔵さんがきつく叱るといったエピソードも紹介されていました。

この症状が見られるのは通称「花咲き乳がん」と言われ、膿の匂いがきつくなるため、何も知らない勸玄くんが不満を言ってしまったのだと思われます。

麻央さんが実際に余命宣告をされるほど深刻な事態であるかどうかは、乳がん単体ではなくて、全身転移をしているかどうかがカギになってきます。

2016年9月20日、小林麻央さんは、自身のブログ「KOKORO」で、麻央さんのがんが現在、肺や骨などに転移しているステージ4あることを明かしました。

更には、2017年1月9日のテレビ番組「市川海老蔵に、ござりまする。」では、市川海老蔵さんが2016年10月に受けたインタビューにて、小林麻央さんのがんの状態について言及し、

「絶対に治らないレベルの病気だった。今年(2016年)の多分早かったら3、4、5(月)で..多分もうダメだった、、5月で」「今年の夏は絶対無理だと思った」と語っていたことが放送されました。

つまり、週刊誌で報道されていたような「小林麻央さんが医者から『夏までもたない(余命3ヶ月)』」と言われていたどころか、その前の、3、4、5月までの3ヶ月の余命を言い渡されていたのでした。

市川海老蔵さんが、小林麻央さんの余命宣告についてインタビューで言及したのは、旦那の市川海老蔵さんでさえ絶対無理だと思った昨年の「夏」を超えて、2017年の現在も小林麻央さんが闘病を続けていることについて、「すごいことが起こっている」という”奇跡”に近いことであること、そして、小林麻央さんが日々、その奇跡を成し遂げ続けていることを伝えたかったようです。

ステージ4の乳がん患者であっても、自分に合った抗がん剤が見つかれば、がんが消滅したという人もいると言いますが、小林麻央さんの現状は「奇跡」に近く、現実としては、今後の予測もかなり厳しいというのが本当のところなのでしょう。

小林麻央さんは2016年10月に、左乳がんと脇の下のリンパ節を取り除く手術を行ったそうですが、これはがんを全て除去する根治治療ではなく、痛みを軽減するためのQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)向上のために受けたものでした。

勸玄くんも不満を言ったという膿の腐敗臭に耐えられなくなったのか、もしくは、溜まった胸水のコントロールが目的だった可能性もあります。2017年1月に再開した骨への放射線治療もそうだと思われますが、2016年以降に小林麻央さんが行っている手術や治療は「完治」を目指すものでは無く「延命」することが目的となっています。

旦那の市川海老蔵さんのため、勸玄(かんげん)くん、麗禾(れいか)ちゃん二人の幼子の為、一日でも長く生き延びたいとの小林麻央さんの努力の賜物が現在を創っているのでしょう。

小林麻央さんは痛みを伴う辛い闘病生活について、日々、自身のブログ「KOKORO」にて告白していますが、テレビカメラの前に登場した麻央さんは光輝いていましたね。

日本中からの麻央さんへの励ましを受け、応援の声を力にすることで、これからも1日でも長い延命を、できれば奇跡の完治回復を願わずにはいられません。

小林麻央さんは、1月23日のブログ「KOKORO.」にて再開した骨への放射線治療が終了し、1月29日には退院して自宅に帰ったことを報告してくれました。

痛みが和らいだとは言え、ほぼ動けずに座ったり寝たりしている状態だそうですが、勸玄(かんげん)くんや麗禾(れいか)ちゃんらの「子供達の姿が見える世界は楽しいです」と、自宅に帰れた喜びをブログで綴っています。


ameblo.jp




2017年6月22日 小林麻央さん死去【市川海老蔵会見動画】

6月22日深夜に小林麻央さんの容態急変の一報が流れ、小林麻央さんの自宅前に報道陣が集まる事態となりました。
6月23日の朝7時54分、市川海老蔵さんが「2017/06/23」とのタイトルでブログを更新し、「人生で一番泣いた日」ですと綴りました。
6月23日14時半過ぎ、市川海老蔵さんは会見を開き、小林麻央さんが22日深夜に逝去したことを公式に発表しました。

昨日6月22日、市川海老蔵さんはいつも通り舞台があり自宅を留守にしていました。舞台後、別の撮影を終えロビーで稽古をしている時、小林麻央さんの母親からLINEが届いており、その内容は、麻央さんの具合が悪く、医者も来ており、家族を呼んだ方がいい、というものでした。

舞台後も別の仕事をこなしていた海老蔵さんは急遽、自宅に戻り麻央さんと対面します。

小林麻央さんが息を引き取る瞬間、海老蔵さんは麻央さんの顔を見ていたと語りました。

麻央さんの呼吸が苦しそうだったので、海老蔵さんは麻央さんの前に座っていたのだそうです。一昨日の21日までは喋れていたけど、昨日の22日はずっと喋れずにいた麻央さんでしたが、海老蔵さんに向かって「愛してる」…最後の「る」の言葉は聞こえたか聞こえなかったぐらいだったそうですが、「愛してる」と海老蔵さんに言って麻央さんはそのまま旅立ったそうです。母親、父親、姉の麻耶さん、子供達の勸玄(かんげん)くん、麗禾(れいか)ちゃんもずっとそばにいて、最愛の家族に見守られての旅たちとなりました。

麗禾(れいか)ちゃんは昨日は母親の麻央さんの元を離れず、麻央さんの横で寝るといって過ごしたそうです。勸玄(かんげん)くんは分かっているけど分かっていないところもまだあるとのことで、今朝、子供達2人は、横になっている麻央さんの元にやってきて、麻央さんの顔を触ったり、足をさすったり、手を握ったりしていたそうです。

小林麻央さんはどんな奥さんだったかと聞かれて、海老蔵さんは、「僕を変えた奥さんじゃないですか」、と答えていました。

姉の麻耶さんが調子が悪くなったとき、海老蔵さんが舞台でとても疲れた時、母親が看病で疲れている時も、麻央さん自身がより重い病を抱え大変だというのに、麻央さんはどんな状況でも自分よりも相手のことを心配する優しさや、どこまでも相手のことを思いやる気持ち「愛」を見せ続けてくれた存在だったそうです。市川海老蔵さんが、麻央さんから総合的に教わったこと、今後も教わり続けることは「愛」だと答えています。

市川海老蔵さんの会見ノーカット動画になります。