【真相】岡田有希子の自殺の新事実!遺書の俳優は峰岸徹や神田正輝でなく舘ひろしだった?(画像・動画有)

昭和を代表するアイドルだった岡田有希子さんが1986年に自殺した真相の新事実が、12月2日放送のTBSテレビ「爆報THEフライデー」で明らかになると報じられました。

岡田有希子さんは当時18歳、デビューして3年目で、ポスト松田聖子と言われた人気絶頂のアイドル歌手でしたが、1986年4月8日、所属事務所のサンミュージックが入居している東京・四谷のビルの屋上から突然、飛び降り自殺をして亡くなりました。

岡田有希子さんの自宅からは、日記風のノートが発見され、そこには遺書として、憧れていた俳優の峰岸徹さんにふられたことが書かれてあったと報じられました。

ところが、その後、岡田有希子さんの自殺の原因は、神田正輝さんであるとの報道や、真相は舘ひろしさんだとも噂されました。

数々の報道や噂をまとめるとともに岡田有希子さんの自殺の真相に迫りたいと思います。

岡田有希子さんの画像や、当時のニュース動画もご紹介します。

岡田有希子の経歴・プロフィール

岡田有希子さんは1967年8月22日生まれ。
本名、佐藤佳代。愛知県一宮市生まれ、名古屋市熱田区育ち。
身長155cm、体重44kg、スリーサイズは、86-58-84のEカップ。

1984年、「スター誕生!」を経て、シングル「ファースト・デイト」で歌手デビュー。

キャッチフレーズは、
「いつまでも一緒にいてね」
「ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」、
愛称はユッコ。

1985年、テレビドラマ「禁じられたマリコ」初主演(峰岸徹と共演)。
1986年、シングル「くちびるNetwork」でオリコンチャート初登場1位。

「くちびるNetwork」は当時、芸能活動休止中の事務所の先輩の松田聖子さんの作詞で、カネボウ化粧品のCMソングとなりました。
同年4月8日、所属事務所サンミュージックの入居するビルの屋上から飛び降り自殺をする、享年18歳。

岡田有希子の自殺の真相と新事実 ニュース動画

岡田有希子さんが飛び降り自殺をしたのは1986年4月8日午後0時20分頃。
こちらは当日午後のワイドショーのニュース動画になります。

ニュース動画によると、岡田有希子さんは、当日の朝10時過ぎ、引っ越したばかりの東京・青山の自宅マンションで手首を切ってガス栓をひねって自殺を図りますが、発見され119番されて、北青山の病院に運ばれました。

岡田有希子さんの傷の具合は大したことないとして、サンミュージックの元専務の福田時雄さんが、病院から東京・四谷の事務所へ連れて帰り、社長室にて付き人を含む3人で話をしていましたが、福田専務が相澤社長からの電話のため席を外した隙に、岡田有希子さんは付き人の目を盗み、屋上へ行き飛び降りたのでした。

福田時雄さん曰く、岡田有希子さんは躁鬱の激しい子でしたが、仕事はコンサートやドラマにと忙しく、仕事が原因ではないとのことでした。

岡田有希子の自殺の真相と新事実 遺書・日記に峰岸徹の名前

岡田有希子さんの青山の自宅からは「遺書」が見つかりました。
1度目の自殺の後、警察が発見し、その翌日、岡田有希子さんの両親に手渡されたそうです。

遺書には、「男優の峰岸徹さんにふられた・・・あこがれていたのに、最近冷たくされて悲しい・・・勝手なことをしてごめんなさい・・・」と岡田有希子さんが憧れていた俳優の峰岸徹さんの名前が残されていたと報じられました。

岡田有希子さんと峰岸徹さんは、その前の年から始まった連続テレビドラマ「禁じられたマリコ」で共演をしていました。

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fc2.com

当時、峰岸徹さんは42歳、岡田有希子さんとは24歳差でした。

岡田有希子さんの訃報を受け、峰岸徹さんは「正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら、責任を感じます」とコメントしました。

サンミュージックの相澤会長は後に、亡くなる円実の岡田有希子さんの行動を公表しています。

岡田有希子さんは前日の深夜、世田谷区・成城の峰岸徹さんの自宅前に1人訪れ、朝方、泣きながら帰宅したのだそうです。当時の峰岸徹さんは元妻との間に小学生の娘がおり、新しい婚約者もいたそうです。

事務所に保管されていた日記ノーとには、岡田有希子さんの峰岸徹さんへの想いや、喜ぶさま、成就しない恋と知った苦悩が綴られていたそうです。岡田有希子さんは峰岸さんに憧れ、プラトニックな愛を持ち続けて自殺したというのです。

2008年、峰岸徹さんは肺がんにより亡くなっています(享年65歳)。

岡田有希子の自殺の真相と新事実 神田正輝・舘ひろし

それから数か月後、週刊サンケイ(1986年6月12日号)が、岡田有希子さんが想いを寄せていたのは、峰岸徹さんではなく、神田正輝さんであったと報じました。

岡田有希子さんは事務所の先輩である松田聖子さんを通じて神田正輝さんと知り合い、神田さん一筋で、神田正輝さんの子どもを妊娠するに至っていたというのです。

ところが、1986年4月7日(岡田有希子さん自殺の前日)、松田聖子さんは神田正輝さんの子どもを妊娠していることを発表しました(妊娠4カ月)。

神田正輝さんは松田聖子さんを選んだことをショックに岡田有希子さんは自殺をしたと言うのです。

更には、神田正輝さんの所属する石原プロモーションは当時、絶大な力を持っており、峰岸徹さんに岡田有希子さんの恋愛相手となることを依頼したのだそうです。

別の週刊誌では、岡田有希子さんの本当の相手は、峰岸徹さんでも神田正輝さんでもなく、舘ひろしさんだと報じられました。

生前、岡田有希子さんは好みのタイプとして、藤竜也さん、舘ひろしさんを挙げていました。
こちらは岡田有希子さんと舘ひろしさんが並んだ時のもの。「ザ・ベストテン」と思われます。

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twitter.com

岡田有希子さんは嬉しくてたまらないといった表情をしていますね。

松田聖子さんと神田正輝さんを通じて舘ひろしさんと知り合った岡田有希子さんは恋に落ちますが、舘ひろしさんは遊びだったことを苦に自殺をしたというのです。

果たして真相はどうなのでしょうか。

神田正輝さん(65歳)、舘ひろしさん(66歳)は両名ともご健在ですので、もしこのどちらかが真実だったとしても、さすがに「爆報THEフライデー」では放送できないのではと思われます。

結局、テレビではたわいもない新事実が出て、美談として放送される可能性が高いです。

「爆報THEフライデー」での新事実と詳細については、情報が入り次第、追記していきます。

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コメント

  1. 峰岸徹さんの事を書き続けていますが。有希子の飛び降り自殺の当日に、緊急記者会見をして、逃げも隠れもしないで、堂々とインタビューを受けていた。松田聖子は出なかった岡田有希子の葬儀にも、峰岸徹は参列していた。後に森本ワイドでもインタビューを受けている点。峰岸徹はある意味潔白である。又、峰岸徹さんが誰かをかばっていたのではなく、余計なことは言わないよう、口止めされていた点が、泥を被らされていた点。でも峰岸徹さんは生涯このことに向き合って生きていたと思います。サンミュージックも大手プロダクションなのだから、サンミュージックに対して、圧力をかけられる事務所って当時、そうそうないと思います。圧力をかけた事務所の誰かが黒幕。

  2. 『’68年の創業時から芸能事務所「サンミュージック」を牽引し、現在は同社の名誉顧問を務める福田時雄氏は、自らが発掘、育成に関わった桜田淳子をスキャンダルから遠ざけるために、こんな手段をとった。

    「桜田淳子の場合は、ウチの所属になったときはまだ中学2年生でしたが、デビュー前から輝いていた。アイドルは誘惑も多いので大変です。

    僕は女性マネジャーを付けて、『淳子を守り通せ』と厳命しましたね。行きも帰りも淳子を家の玄関まで送り届けろ、地方へ行ったときは二人でツインの部屋に泊まれ、と言いました。

    当時に比べると、今の芸能界のマネジャーとタレントの関係はドライというか、プライバシーを尊重していますね。』

    伝説のマネジャーたちが語る「70年代のハチャメチャ芸能界」
    2017.09.24
    現代ビジネス 講談社 より

  3. 何が真実なのか未だに不明ですが。岡田有希子の走り書きの遺書みたいなものに、峰岸徹以外の俳優陣の名前が書かれていなかったのか、これも不明ですね。遺書が全て公開されてたのでしょうか?峰岸徹に全て罪を被せた。他の俳優陣の名前が書かれていてもおかしくないと思われます。峰岸徹さんが丁度いいタイミングで、反ストーカー行為に合っていた。ドロドロしたタイミングで利用された可能性がありますよね。峰岸徹さんが身代わりになったとしたら、このようなことで強制身代わりにされたと、言った方が正しいかもしれませんね?

  4. 4月7日は何時に起きたかわかりませんが、そこから自殺する迄の間ほとんど寝てないのではないですかね。自殺する頃精神ともに、疲れはてた感じで気の毒にも思います。密会説の事も森本ワイドで、森本さんに突っ込まれてましたが。峰岸徹は「会ってません」と言ってました。峰岸徹さんの舞台?舞台の会見?そんなかんじの峰岸さんに関することに、有希子が来ていたということです。神田正輝と松田聖子の妊娠報道がなければ、岡田有希子のロッキー4の試写会の後の行動は全く違っていたかもしれませんね?4/6の帰りの新幹線で社長の横で「遠藤さんも亡くなったのね」そして4/7のオフ日に、妊娠報道。神田正輝説が過去に実在したならば、「今度ばかりは他の女性に奪われたくない」と、勝負・死をかけた電話がロッキー4が終わった後の夜4/7の電話。

  5. 岡田有希子は何かに集中力を発揮した際に、寝る時間を削ってでも実行するタイプ。3月21日?密会説が有りますが?ネットも無い時代に有希子はどうやって知ったのでしょうか?自殺後に森本ワイドで、峰岸徹さんは「住所交換はした」と言ってましたが。電話番号も教えていた可能性があります。住所を教えて電話番号を教えないって、普通にまともに考えても逆ですよね。時折電話をしてたので、その日の日程も知ってた可能性があると思われます。有希子は多忙でも、ピンクレディーやキャンディーズいわゆる一流スターまでの、多忙とは違うとは思います。空き時間でやりたいことをやってたのではないですかね。マネージャーも社長も有希子の行動にどこまで把握していたかわかりませんが?岡田有希子しかいないタレント事務所ならともかく、複数いるタレント事務所で、当時は松田聖子や早見優もいた事務所。岡田有希子の事だけ100%監視するのは無理があったかと思います。有希子の性格が真面目すぎたのも、芸能界でやってくのには向いてなかったのかもしれませんね。

  6. 岡田有希子自殺18歳没・神田正輝当時34歳。現在三船美佳37歳・神田正輝現在69歳。

  7. 先月書いたコメントが飛んで掲載されず、コメントするのやめようかと思ってました。峰岸徹さんが「身代わり」になったとは?多分峰岸徹も有希子が何故死に急いだのか、大体の事は(察していた)知ってた?記者会見で本当の事を死んだ有希子に変わって、事実上の(暴露)を誰かに口止めされた。どこの誰からとはわかりませんが?(身代わり)と例えるのであれば、死人の有希子に変わって峰岸徹の暴露コメントを阻止した?のが筋道として成り立つ気がしますが?

  8. マネージャーが首を吊ったというのがすべてを物語ってる。
    マネージャーはすべてを知ってるだろうからね。
    2人死人が出た場合は偶然ではない。
    マネージャーが岡田有希子に何かをしてそれを苦に自殺したのでバレるのを恐れて自殺、あるいは、二人とも口封じで殺されたかのいずれかしかない。
    スリッパと足の裏の件から私は後者だと思う。

  9. 他サイトで書かれていた事で少し書かせてもらいます。「嘘・デマ」に関してですが…三十何年前と現在を一緒に考えているようですが?それはおかしい。当時はまだインターネットも無い時代。黒電話。せいぜい自動車電話があった位ではないですか?携帯電話もポケットベルも無かった時代。妊娠とかそうゆうのは、私は興味有りません。峰岸徹さんが身代わりになったとは、あり得ない事だと思っていました。禁じられたマリコのドラマ自体が、最初から岡田有希子に峰岸徹をくっつけさせる為のドラマだったのでしょうか?あり得ない話ですよね。岡田有希子が自殺した時代と現代を同じように考えるのはお門違いだと思いませんか?

  10. ニュースをよくみると、住所がはっきり映っていたりします。わずか何日間しか居なかった、南青山ロータリーマンションや、峰岸さんの家も。峰岸さんの家は有希子が死ぬ当日の午前朝方?タクシーを拾った6丁目からそんなに離れてはいません。一軒家って意外と喋り声が、けっこう外に筒抜けだったりしますよね。有希子が死ぬ当日峰岸邸に行ってたと噂されてましたが。峰岸徹さん含めフィアンセと前の妻の娘の、親子水いらずの声を聞いてしまったのかもしれないですね。有希子が何かの雑誌で、「告白する前から失恋しちゃってるんです」ってみた記憶が有ります。峰岸邸に行った意味合いは?家まで行けばもしかしたら会えるかな?って思っていたかもしれませんね?でも峰岸徹邸から聞こえてくる会話をもし、有希子が聞いていたとしたら、これも誤算でしたよね。18歳の乙女には過酷だったのかもしれませんね。

  11. 「愛をください」(1988年7月朝日出版)にお母さんが寄せた手記には、峰岸氏は彼女の自殺の原因ではないと、むしろお詫びの言葉まで添えていますよ。彼女の遺書をお母さんはちゃんと読んでいますから、これが真実でしょう。

  12. 焦点は誰が有希子に止めを刺したか?もうお分かりですよね。有希子の2度目の自殺には俳優陣は直結していない。これは元専務も似たような事を話していたと思います。飛び降り自殺の最初のニュースでは、「事務所7階から飛び降り自殺」と字幕が流れたのに、直後に「屋上から飛び降り自殺」と修正されていた。何かを隠蔽したと言われても言い訳はできまい。自殺未遂速報が遅かったせいもあり、直ぐに自殺速報が流れた。岡田有希子の当時の溝口マネージャーは、どうゆう真実を知ってサンミュージック内のトイレで首つり自殺をしたのか。これもまた、溝口マネージャーが何故死ななきゃならなかったのか??ということになりますよね。当時の専務さん?名誉顧問さん?今更真実を公表しても、何の特も無いでしょうが。真実を公表して岡田有希子・ファン他他界した方々に謝罪するべきだと思います。

  13. 有希子の両足の裏がきれいだったのには、ここを指摘された方は凄いとこを見てるなと思いました。専務の話だと、スリッパが揃えてあった。そこから裸足で屋上のフェンスまで歩くわけですが。汚れていないのには、屋上から飛び降りていないという立証されたものであります。普段あまり誰も行かない歩かない場所なら、常識的にも、両足の裏は真っ黒になるのではないですかね。前に書きましたが、妊娠報道と峰岸に死ぬ前日に降られたと確信したことについて、ダブルショックだったのではないか?フィアンセがいた事はまだ別問題。私の憶測に過ぎませんが?

  14. 「愛をください」1988年7月1日出版 に寄せた岡田有希子さんのお母さんの手記では、お母さんは「今でも、あれを遺書といっていいのかどうか私には分かりませんが」と書いておられます。

    以下引用

    娘はなぜ死を選んだのか
     
     佳代の遺書ーー今でも、あれを遺書といっていいのかどうか私にはわかりませんがーーその中に峰岸さんの名前がたしかに書かれていました。

     峰岸さんが好きだった、と。

     何が何だかわからぬまま東京に駆けつけ、佳代を荼毘に付した葬儀場の駐車場で私は初めてその”遺書”を主人に見せられたのです。茶色い封筒にいつもあの子が使っていた可愛らしいキャラクター模様の便箋が二枚入っていました。

     べつに誰あてというのでもない。先立つ不孝をお許しくださいというような遺書にふさわしい言葉もありませんでした。あの子の性格からして、もしあれが遺書であるなら、必ず、先に死ぬのごめんなさい、とか一言でも書いているはずです。

     一枚には佳代が日頃からよく書いていたような詩が書いてありました。もう一枚に、心境、といっても決して死を予想させるようなものではありませんでしたがーーーが書いてあった。それもたった十数行のものでした。

    • 有希子は死ぬ気はなかったが、結果死に急いでしまった。有希子の性格上、急遽死ななきゃならなかった。霊能者でも透視するのは困難だと思いますが?「あれが遺書」という背景には、他殺説を連想してるのですかね。色々噂は尽きないですが。何の証拠も有りませんし。有希子の死の直前に、色々元専務が話していたことは、物理的にもおかしいと思いました。他サイトでは、飛び降りた有希子の両足がきれいなままだったのも、屋上から飛び降りていない裏付けになります。警察は何故操作しなかったのか?とごからかの圧力で操作打ち切りだったのですかね?元専務が本当の事を喋る筈がありますんがね。

  15. 匿名さんのコメントは理解が物理的にもあると思いました。真実は依然として謎ですが。飛び降りの前日に、神田正輝と松田聖子の妊娠報道は偶然でしょうか?有希子がもし神田正輝と付き合っていた過去があったとしたなら、今度は絶対に「峰岸さんと絶対に一緒になりたい」って?多忙もあり、誰かにすがりたかったのも1つにはありと思いますが。事を急ぐきっかけは妊娠報道。偶然の4/7オフも重なった。有希子自身も撮影が終わってから、「相手にされていないのでは?」と薄々感じてたのかもしれませんね。高校生にしては地味な格好。背伸びしても届かない恋に疲れていた。「もしふられたら死のう 」覚悟を決めたのではないですか?死にきれなかった時、大事になり、タレント生命をたたれる。そこまでは計算してなかっただろうし。事務所に連れられていかれたその時、冷静に我を振り返ったら、とんでもないことをしたことに気付かせられた?でも何故死ななきゃいけなかったのか?口は災いの元??何か余計事を言われなければ、2度目の自殺は無かっただろう!

  16. 岡田有希子さんはデビューの時から事務所社長の家に他のアイドル仲間と一緒に下宿生活をしている。高校生の岡田さんは社長宅から通勤通学していた。彼女のマネージャーは複数人いて彼女をしっかりガードしていたという。他人様の大事な未成年の娘を預かっているのだから当然だろうが。(事務所は、岡田さんの芸能界入りを反対していた家族を「お嬢さんを3年間だけ私たちに預けてください。3年かけてたとえ売れなかったとしても、立派になった、成長したと思って頂けるように育ててお返しします。」と話して親を説得したという。)

    岡田さんが社長宅を出てマンションで一人暮らしを始めたのは彼女が亡くなる4日前。4月5日は東京コンサート。死の2日前の地元の名古屋でのコンサートの時は中学高校生の時の友人と会ってマンションの電話番号を教えている。実家にも少し寄っている。次の日はオフで友人と映画を見に行っている。(これは記事になっている。)
    男と会っている様子はない。

    彼女のスケジュールはビッシリ埋まっていたという。時には点滴を打って仕事をし、過労で倒れて入院したこともあったという。
    岡田さんが峰岸氏に出会ったというドラマ撮影の時は睡眠時間が2,3時間の時もあったという。このときも当然社長の家からマネジャーが付いて通勤しているのであろう。

    これをみると、物理的にもとても恋愛は無理であり、やはりお付き合いはしていなかったのではないだろうか。(峰岸氏の自宅も成城にあったので、ドラマの撮影時に帰る方向が同じだったので、峰岸氏が車で岡田さんを下宿先に送ることもあった。その時に一緒に食事に行ったこともあったそうだ。ドラマ共演者は皆、仲が良かったそうだ。これらの行動は社長は全て把握していたはずだ。高校生の岡田が自由気ままな行動は出来るはずはないであろう。マネジャーから社長に全て連絡、報告はなされ、高校生アイドルの彼女を事務所はしっかり守り管理していたであろう。)
    峰岸氏は岡田さんのことを「妹のような存在だった」と話している。やはり岡田さんの熱烈?な一方的な片想いということではないだろうか。

    普通の感覚で言えば、片想いをしていて失恋したからといっても、初めはショックで数日くらいはガッカリしても「仕方がないな」「お幸せに」くらいで立ち直るものだと思うのだが。
    しかも岡田さんは、86年2月号(自死は4月8日)の「明星」のインタビュー記事のなかで、将来の夢をいろいろと語っている。あれもしてみたい、これもしてみたい、やりたいことがいっぱいあります(やりたいことが具体的に書かれてあった。)とあった。
    希望に輝く意欲的で前向きで明るいコメント記事内容である。

    こういう人(岡田)が、だまされて捨てられたとかではなく、片想いの峰岸氏に婚約者(峰岸の娘はその婚約者になついていたという。)がいるということを知っただけで、パニックになり悲憤慷慨して自暴自棄になり自殺してしまうのだろうか。
    甚だ疑問で違和感を覚える。

    ちなみに、早朝にガス栓を捻って手首を切ったとする記事もあれば、午前10時や夜中の1時頃とする記事もある。一体どれが真相なのか。

  17. ゆっこは幸せの方、短い人生だったけれど綺麗な服でデビューできてタイトルもいくつもゲットした、私は知らずに歌い手に原曲を撮られデビューもできなかった不幸だったけれど生きている沢山のファンの子達に慕われて今もたくさんの人の心の中で生きている。

  18. 岡田有希子の飛び降り自殺に関して、一番悪いのは本人有希子。自殺が美化されすぎましたよね。当時はまだ「ストーカー」という言葉が無かったと思いますが。峰岸徹さんはストーカー被害にあったようなもの。有希子の自殺後真っ先に悪者になってしまいました。他の俳優陣もいい迷惑。有希子の自殺後にサンミュージックは、峰岸徹さん含めこの俳優陣にもどのような謝罪をしたのか?しなかったのか?有希子の事を今更悪く書きたく有りませんが、冷静に考えると、いまだからはっきり言える自作自演の自殺だったのではなかったか?と思います。ただ元専務と付き人が何故止めなかった?止められなかったのか?それは本人しか知らないと思います。

  19. 岡田有希子の自殺の直接の原因はズバリ、自殺を許した元専務にあると確信しています。峰岸徹さんが石原プロからじゃなく、サンミュージック経由で仕事をもらっていたのでは?他サイトで色々書かれてましたが?仕事をもらっていたと仮定しての話ですが?日航機123便墜落当時のN総理のように真実を墓場まで持っていくおつもりなんでしょうね?元専務? さん

  20. どうやら有希子は7階から、専務、女性の付き人の目の前で飛び降りた?そんな感じがしてなりません。
    なので、専務の話は全て作り話です。有希子を飛び降りさせる原因要因は、専務が誘導するような余計な事を言った。そして飛び降りを止めなかった。2度めの自殺は俳優陣には直結していないと、私は結論付けました。

    • 私も、そう思います!

  21. 「岡田有希子はなぜ死んだか」

    字を間違えました。大変失礼しました。

  22. 「岡田有紀子はなぜ死んだか」
    ジャーナリスト 上之郷利昭著
    1986年10月1日

    あの自殺は失恋なんかが原因じゃない!関係者への綿密な取材で浮び上った少女タレントの孤独の相貌。それは薄汚れた世間の常識を打ち破って、18歳の無垢な青春の死と真実を白日のもとに晒す!

    だそうです。

  23. 有希子が自殺した直前に発売されたアイドル誌に、花のイマージュを批判するコメントが書かれていたのを記憶してます。「ストリーの無い曲」「LoveFairと似たような曲」そんなコメントが書かれていたと思います。有希子の性格は何事にもトップになる事。何事にもやりきらないと気がすまない性格。くちびるNetworkはオリコンチャートで1位になったものの、ベストテン・トップテンでは1位になれなかった。このまま歌を続けても、聖子・明菜のようなトップアイドル。いわゆる一流にはなれない。完璧主義者に大きなギャップがあったのかもしれませんね。くちびるNetworkの勢いでここからどうなってたかはわかりませんが…歌手女優業と順調だったのに、男性関係だけは自分の思うようにならなかった。有希子自身の芸能界でのやる気が薄れていって、4/8も休みになった事が、自殺につながる考えさせる時間を与えてしまったのかもしれません。遠藤康子の自殺の時も男性関係でしたが、有希子はこの遠藤に対して「芸能界辞めればよかったのに」と、そのようなコメントをしてたかと思います。南青山のマンションで死にきれなかった有希子。もし有希子本人が本人の意思で四谷大木戸ビルから飛び降りたとしたら、その理由は?自分に対するけじめ。取り返しのつかない大きな事をしてしまったとの事ではないでしょうか。あと一つ気になったてた事は、自殺未遂速報と自殺速報にそんなに時間差が無かった事です。事務所が何かを隠す?操作する為の時間稼ぎだったのでしょうか?

  24. 週刊紙、テレビで何年か周期でF専務が度々姿を現しますが。例えば爆報THEFridayなどで、本当に真実を公表したのでしょうか?毎回似たコメントでラチあかずのコメント。2度目の自殺を許してしまった張本人が度々コメントすることで、当の責任を免れ、自殺を許した責任を他人にすり替える意図も一つにあるんだと思われます。故相澤会長も本当は真実を全てぶちまけたかったと思います。でもそれには同僚の専務も巻き込んでしまうから、10年後の暴露も叶わなかったと思います。F専務のコメントも死人に口無しの自分に都合のいいコメントとしかと思えません。何度も同じ事を書いてすみません。2度目の自殺、悪い書き方かもしれませんが、自殺に追い込んだ、自殺させてしまったのは誰なのか?よくのうのうテレビに出ていられますよね?佐藤家も崩壊、何人もの後追い自殺。この人いつか事の重大さを揉み消そうとでも思ってるんだと思います。でなければ、他界しないうちにきちんと謝罪するべきです。

  25. 自殺の前日、有希子が南青山ロータリーマンションから成城に行く前の夜10時前後に、電話で会話をしていた、生田智子さん。多分真相を知ってると思います。こないだのファンミーティング?本当の事を言うはずがないとは思いますが。前日に同級生の石野陽子さんも電話してたと記憶に有ります。前日夜遅く恐らく峰岸徹に会う約束を強引に取り付けたのでないでしょうか。峰岸徹もまさか本当に自殺をしてしまうとは思ってなかっただろうし。峰岸の対応次第で、自殺未遂から自殺になる事はまぬかれた。生涯向き合ってきたのは峰岸自信が悪かったという責任感があったからこそだと思います。連続ドラマ禁じられたマリコで、共演した先生役の広岡俊。岡田有希子は役で広岡俊に恋をする役でも有りましたが、実際には二回り年上の峰岸徹に恋をした。4/8の自殺は、前日の妊娠報道をぶち壊すような、会社サンミュージックに対する当て付けの自殺のようにも感じましたが?

  26. 「岡田有希子が神田正輝の子を妊娠していた」なんて、愛をくださいには書かれていませんよ。ただ2月3月くちびるNetworkでベストテンに出ていた衣装も化粧も高校3年生には見えないくらい厚化粧でしたよね。くちびるNetworkがカネボウ?化粧品のMソングにもなってましたが。沢口靖子さんと並んで写ってた写真が記憶に有ります。ドラマ禁じられたマリコの、主人公岡田有希子の役柄は超能力少女。役柄で実父である超能力者、中尾彬と対決し父を助けて死んでしまう役でしたが。ポルターガイスト現象とか、いまとなるとこのドラマ少し怖かった気がします。番組収録最後ぐらいにきちんとお祓いをやってたんですかね?あと元サンミュージックが入っていた大木戸ビル自体も良くない建物だと、どっかの雑誌に書かれていました。この辺は初めて書くことですが。4月8日の出来事といい。運が悪い事が多すぎた。常に裏目裏目だった。社長、溝口MGも私用で外に出ていた。有希子は4/8急遽休みになる。何か霊的作用が働いていたのかもしれませんね。

  27. すみません。33年も経っているので記憶が曖昧になってる部分があります。岡田有希子のレコードデビューは菊池桃子と同じ昭和59年4月21日1984年4月21日で訂正です。岡田有希子の新人賞総なめは菊池桃子が一部辞退していたのも、理由の1つとなりそうです。

  28. 松田聖子主演の4作目カリブ愛のシンフォニーは上演スタートは85年4月13日となっています。大体映画の撮影は公開の1年前前後に終わってる可能性があるので、岡田有希子のレコードデビュー85年4月21日の前に撮影終了してた可能性があります。岡田有希子と神田正輝の接点はいつ頃だったのか?と考えても、松田聖子の郷ひろみとの85年1月の破局会見の直後に、神田正輝と交際宣言をしており。岡田有希子と神田正輝の交際がもしあったにしても、短い期間だったのではないですかね。私が別のサイトに書きましたが、松田聖子が郷ひろみを振った。ジャニーズ事務所を敵に回した。ジャニーズ事務所から当然、サンミュージックタレント共演NGの圧力。おおげさかもしれないですが。石原プロと接点を置く事で経営破綻をまぬがれたのでは?岡田有希子は松田聖子の尻拭いをさせられていた。くちびるnetworkはその見返り?とも言われていました。

  29. 松田聖子と神田正輝の結婚は85年6月頃で妊娠報道が翌年86年4月7日ですので、なんら不思議はないごく自然ではないでしょうか?結婚式には当然岡田有希子も出ていました。あの書き方だと、松田聖子も独身で神田正輝が二股をかけていて松田聖子を選んだ挙げ句に、岡田有希子が自殺した風にもとれます。

  30. SKです。当時のF専務の事をあえて匿名で山崎と書いてましたが。続きです。当時の話を振り返ると、「F専務が社長から電話が入ったので」と付き人と有希子を残して部屋を出た後、有希子がトイレに行くので、付き人がついても行かずに、屋上から飛び降りをさせてしまったと。話が都合よすぎてはいませんかね。F専務・マネージャー・社長の三人の緊急記者会見では、あわあわした様子なく、溝口マネージャー以外は冷静にも見えました。何か隠しているんでは?ともみれましたが。当時自殺のほこさきは峰岸とおるさんにむけられ、かわいそうな気がしました。ただ自殺の前日に一切電話をしてないと嘘をついたのは、自殺の後でファンの逆襲他色々かんがえられるので、本当の事を言う訳がないのもわかりますが。自分の書いた文が全てでたらめだったにしても、自殺を許してしまったF専務に重大な過失があるようにも思え。ほこさきは峰岸徹さんにすりかえられてた気がしてなりません。

  31. SKです。続きとなりますが…。急遽休みとなったのは4/8の事で4/7の元のオフと合わせて連休となり、訂正です。有希子の自殺後峰岸は後の森本ワイドで、前日に電話のやりとりは、「してない」と言ってましたが、これは死人に口無しの真っ赤な嘘だったと思われます。33年経って冷静に考えると、一度目の自殺未遂は男女関係のもつれかもしれないですが?2度目の自殺は、誰が自殺に追いやったのか?ということになります。数学の理論からしても、有希子が屋上を乗り越え着地した地面にたどり着くには、助走をつけふみきり版でもない限り落ちた場所に着地するのは不可能だったと思います。飛び降りたのは屋上じゃなく社長室7階だったのが正解。社長室から飛び降りるにしても、窓を開ける時間に数秒時間がかかるのでは…一緒にいた筈は山崎専務と女性の付き人。なぜこの二人のいる前で有希子が飛び降りなきゃいけなかったのか?最初の自殺は色々噂されてました俳優陣かもしれないですが「未遂」で終わって生きているので攻める必用もあるのか?と思いました。故相澤会長が10年後に全てを暴露するような事を言ってましたが、結局そのまま他界。有希子を2度目の自殺に追いやったのは、誰でしたと言える訳が有りません。有希子が「ちょっとティッシュを…」とトイレに行った振りをしてそのまま屋上から飛び降りたは、作り話もいいとこです。後に溝口マネージャーがサンミュージックのトイレで自殺はご存知。故相澤社長も故溝口マネージャーももう少し早く事務所に着いていたら。と後悔してもしきれなかったでしょうね。

  32. 他のサイトでも書かさせてもらってます。SKと申します。自分も34年目の真相ということで、色々調べてきましたが、有希子がロッキー4の試写会の後友人を待たせて、公衆電話から峰岸宅に電話をしていたみたいで。その時峰岸のフィアンセとお話ししたかと推測されます。有希子もそれまでに峰岸に結婚相手が居るとは思ってなかっただろうし。何度か強引に待ち合わせの時間も、峰岸は来なかった。4月7日は急遽休日になり、この日前の恋人神田正樹の松田聖子との妊娠報道。少し前の遠藤やすこの自殺も手伝ってか。「私はただ遊ばれていただけ」と気がついた時、生きる気力を無くした。妊娠報道の次の日に飛び降り自殺。4/7の妊娠報道は有希子も知ってた筈だし。峰岸とはっきりけじめをつけたかったのだろう。夜中成城を歩いていたのは事実だし。3月終わりぐらいから、有希子はおかしくなっていた。

  33. 早く真実を知りたいただのぶりっ子だったのか?でもそれってSMAPぐらいショックだわー。真面目なふりしてー。どのぐらい見たいなねー。でもファンだっらたの子の子見て怖がらずに子どもうめて2人子ども男幸せです!不感症女とかも言われて可愛そうだと思いますー。事実が言えなかった悔しさありそうですね

  34. そもそも単一的な理由だと断定すること自体が愚考。
    誰とどうとかではなく
    誰と誰が絡み自分がどうで周りがどうか。
    それぞれが纏わりついて心が逃げられなくなる。
    悲劇のヒロイン思考が膨らむときもあれば単純な恥、知られてようと知られてまいと自分の浮気などから逃げることもある。

  35. 真実を知っているのは岡田有希子本人のみ。
    もはや、永遠の謎だ。

  36. 亡くなられて翌日報道されているのに
    その前に警察関係者から聞いただと
    コメントでも嘘を書く奴がいるのには本当に呆れるわ

  37. 当時、自死が報道されるより前に、警察関係者から舘ひろし氏が原因でと聞きました。

    その後、館氏と同じプロダクションの年配のおじさん俳優が相手と報道されたので驚きました。

    おじさん俳優もさっさと認めてました。

    推測ですが、若手人気トップの館氏を守るためだったのでしょう。

    真相は永遠に分からないでしょう。

    分かるのは、マスコミや、テレビの言うことなんか今も昔も信用できないと言うことと、芸能界は恐ろしい所と言うことでしょう。

    今でも話題になるのは、それだけ衝撃的な事件だったからでしょう。

    • 芸能界が恐ろしいと言うより嘘が多いマスコミやネットの情報が尚更
      恐ろしくさせているようだ

  38. やはりヒドイ男だな!

  39. そんな、見てたわけでもないのに
    何が真実だなんて社長と専務と付き人の女と本人以外にはわからない

  40. 芸能人大変やな

  41. 今年で33回忌かな?真実は佐藤佳代しかしらない、その商品が投身自殺したからこの女は生きる事をやめた、別に死ぬ事もないのにな。命を無駄にしただけ!当時ファンでもないが生きようが死のうが自分次第。

  42. 早く知りたいです。神田さんたちさんどっちななんで石原裕次郎なの?松田聖子はやりそうだー。岡田有希子さんはめられたの??です匿名希望へーべ

    • あんまりガセネタ話を本気にしない方が良いですよ

  43. びっくりです。いまだかつて本当にわかっていないたちさん一緒に出演しただけじゃなかったのですか?この2人に聞いて見たいです。大好きな峯岸さんはなくなってるしだれにも話していないのだからー。なんだかかわいそうだしコネの人うかばれていないー。ですでもシック受けけても知りたいご冥福をお祈りします…。

    • 報道番組が嘘を伝える訳が有りません
      神田正輝や館ひろしの話は週刊誌売上目的に作られたガセネタ話です

  44. 新聞社に送った文面が知りたいです。かってに手が動いてます。ゆきこさんはどうしてしんだんですか?気持ちがかわらなかったのですか?。現代病だったような気がします。今さわがれるのは嫌みたいですが私この頃子供でき怖くて忘れましたがまた出会いました

  45. 真相は石原裕次郎の生贄。その為に館・神田・峰岸の三枚でカバー。

    • 石原裕次郎が相手。峯岸は、仕事を餌に作られた身代わり。昔も今も裕次郎のイメージ を守るため謎扱いのゆっこのじさつのしんじつ。

  46. いうほど美人でもなかった

  47. 家庭環境が複雑だった事も関係していると思う。父親は有希子さんが出来た時、中絶を迫ったらしい。今日聞かされてまだ記事を読んでいないが。父親はもう子供は要らないと思ったのか、他の理由が有ったのか…。Wikipediaを読んだが、胎盤異状で出産時は危険だったと。 有希子さんは中学生の時に、両親の離婚の話し合いを聞きガス自殺を図った。その為離婚出来ず、佳代(有希子)が20歳になったら離婚すると決めていた。実際に有希子さんが他界した後、両親は離婚した。 石原プロとサンミュージックは、枕営業の関係だったと。でも石原プロが枕営業でイメージダウンを嫌がった。峰岸徹さんを身代わりにして、有希子さんに関するインタビューをさせた。石原プロは峰岸さんを悪者にする代わりに、仕事を増やすと条件を出したという説が出ている。

  48. 違いますよ。
    当時、峰岸さんも館さんも成城に自宅が
    ありましたよ。
    3月21日のことがきっかけにはなったと
    思います。

    神田さんは、見当違いもいいところです。

    仕事の面でも、努力ではどうにもならない
    ことを悟ったり、あんなに喜んだ
    レコ大が出来レースだったことなど、
    憤ってたのもあると思います。