モデルでタレントの”にこるん”こと藤田ニコルさん(20歳)。
天然のおバカキャラながらファッションリーダーで明るいイメージの藤田ニコルさんですが、中学時代には「いじめ」にあって不登校になったり、家族は母と弟の3人暮らしで貧乏だったりと苦労の人生を過ごしていました。
藤田ニコルさんの生い立ちを追いながら、どんな人物なのかに迫ります。
藤田ニコル(にこるん)の生い立ちプロフィール
本名 | 藤田 ニコル(ぶじた にこる) |
生年月日 | 1998年2月20日(20歳) |
出身地 | ニュージーランド(埼玉育ち) |
身長 | 167㎝ |
体重 | 47~48Kg |
カップ数 | 推定Bサイズ |
血液型 | A |
中学校 | 戸田市立戸田中学校 |
高校 | 飛鳥未来通信制高校 |
活動経歴 | 2009年:ファッション雑誌「nicola(ニコラ)」モデルオーディショングランプリ 2014年4月:「二コラ」モデル卒業 2014年5月:「Popteen」専属モデル(2014年7月号~) 2017年8月:「Popteen」モデル卒業 |
母親の離婚で貧乏生活の幼少時代
藤田ニコルさんは、ロシア人とポーランド人のハーフの父親と日本人の母親の間に1998年2月20日、ニュージーランドで生まれました。
こちらはニコルさんが2歳の時(写真日付が2000年のため)の画像になります。
今日はにこるんビームの日でちゅ。 pic.twitter.com/AFybXwvxS5
— 藤田 ニコル(にこるん) (@0220nicole) 2015年11月10日
藤田ニコルさんが3歳の時、両親が離婚し、母親がニコルさんを連れてニュージーランドから帰国し、埼玉に住むようになりました。
ニコルさんの母親は、その後、再婚して、ニコルさんには5歳下の弟が出来ますが、母親は再度、離婚をし、その後は、シングルマザーとなります。朝9時から夕方5時までは電子工場の事務のアルバイト(時給1000円)、その後は、夜中の2時までスナックでアルバイト(時給1500円)をしてニコルさんと弟の生活費を工面していました。
一家3人は埼玉県戸田駅から徒歩12分の2DKの家賃6万5千円のアパートに住んでいました。
母親が1日中仕事で外出しているので、ニコルさんと弟の面倒は、アパートから歩いて5分のところに住んでいた祖母が見てくれていたそうです。
暮らしは貧しく、ある日の夜の献立は、きゅうりの漬物に、きゅうりの酢の物、きゅうりの味噌汁とご飯、ときゅうりづくしでした。これは、祖母が自宅のベランダできゅうりを栽培していたからでしたが、育ち盛りのニコルさんと弟には物足りない内容だったことでしょう。
自宅には当然、エアコンは無く、扇風機でしのぐ生活が辛かったとニコルさんは語っています。
小学6年生でモデルデビュー
藤田ニコルさんのモデルデビューは小学6年生の時でした。
その1年前の小学5年生の時、ニコルさんはモデルになりたいとの夢を持つようになります。
「nicola(ニコラ)」の雑誌の名前がニコルと似ているからと、母親が買ってきてくれたファッション雑誌「nicola(二コラ)」がオーディション号だったため、モデルになることに興味のあった藤田ニコルさんは早速、応募をしますが、その時は、書類審査で落ちてしまいます。
そのことが悔しくて、小学6年生の時にリベンジをしたところ、見事、1万4076人の中からグランプリの5人に選ばれました。
小学5年生の書類落ちから何を変えたかと言うと、ニコルさんは応募書類の写真のために、前髪をぱっつんと切りました。
小6のニコルさんの画像を見ると、まだあどけなさが残ってますね。
中学校時代にいじめから不登校に
モデルとして活動することになった藤田ニコルさんでしたが、小学校5年生の頃から学校での勉強についていけいなくなり、不登校気味になっていました。
中学校(埼玉県戸田市戸田中学校)に入学してからは、気持ちを切り替えて通うようになったところ、そんなニコルさんに待っていたのが「いじめ」でした。
現役モデルとして活躍していた藤田ニコルさんは、学校でも注目の存在となりました。
ところが、ニコルさんの人気ぶりが気に食わない女性の先輩や同級生から陰湿ないじめを受けるようになります。
「あれがモデルなの」「ブスじゃない」などの心無い言葉を受けたり、机に落書きをされたり、廊下に貼っているクラスの集合写真の自分の顔だけに画鋲が刺さっていたこともあったそうです。更には、当時、つき合っていた彼氏のことを巡り先輩に呼び出され、土下座させられることもあったそうで、ニコルさんは学校に行くのが怖くなり、再び不登校になってしまいました。
そんな自宅に引きこもっていた藤田ニコルさんに優しく接してくれた友達がいました。
藤井さんという名前の方だそうで、不登校になった藤田ニコルさんの家に毎朝訪ねてくれて、ピンポンを押し、学校に一緒に行こうと誘ってくれたそうです。その時に藤井さんがニコルさんにかけた言葉が「みんな待ってるよ!」だったとのこと。
「自分は1人じゃない」と思えるようになったニコルさんは、その後、藤井さんに会いに行きたいからと給食だけでも食べに学校に行くようになりました。
そして、藤田ニコルさんの中学2・3年生の時の担任の小國晃一先生は、新米教師ながらニコルさんの味方になってくれる存在でした。
「7時にあいましょう」で中学校の小國晃一先生とクラスメイトと対面
「7時にあいましょう 気まずい相手と対面SP」では、藤田ニコルさんは、担任の小國晃一先生に謝罪に行くことになりました。
卒業式の1週間前に、藤田ニコルさんは禁じられていた「チャリ通」を別の先生に見つかってしまって、1週間ちゃんと学校に行くという小國先生との約束を果たせなかったことを小國晃一先生に謝罪するために会いにきました。
小國先生「全然、大丈夫。気にしてない。怒ってない」
にこるん「ありがとうございます」
すると、
「久しぶり!」の声が。
小國先生が呼んでくれた藤田ニコルさんと中学時代に仲が良かったクラスメイトの女の子たちの声でした。
「大人になったね」と泣きながら笑うにこるん。
クラスメイトの中の1人、山本メイさんは、藤田ニコルさんと修学旅行で同じ班でしたが、
「その時は良いように思ってなかったから、悪いことしたなって思って」と告白すると、藤田ニコルさんは「だって中学生だしね」と怒ることもなく応じていました。
「藤田ニコルさんが中学時代に楽しい思い出がないとの記事を読んで、今日、来るのが大丈夫だったか心配だった」と告げると、藤田ニコルさんは、「(こんないい友達がいたんだから、学校に)行けばよかったちゃんと」、と話しました。
(この後の放送回で、”この同級生6人が藤田さんをいじめていた加害者ではありません。誤解を与える表現がありました。”と、お詫びコメントが掲載されました。}
貧乏からの逆転発想で人気モデルに
中学時代の藤田ニコルさんは、中3の頃には、モデルとしては少々、育ち盛りでぽっちゃり気味になったことがあったそうです。
その時、ニコルさんが思いついたのが、きゅうりダイエットでした。
「おばあちゃんの育てるきゅうりだけで3週間生活し、体重を3キロ減らすことができた」のだそうです。
この方法は健康に害を及ぼす可能性があるので、おススメはできませんが、その当時のニコルさんは必死だったようです。
このダイエットのおかげで、ファッション雑誌「ニコラ」の表紙を飾ることができたそうです。
中3時代のニコルさんの写真画像がこちらになります。黒髪でナチュラルなイメージもかわいいですね。
その後、高校になった藤田ニコルさんの悩みは、メイク道具や洋服代のことでした。
藤田ニコルさんは、自宅のある戸田駅から歩いて1分の海鮮居酒屋「浜焼酒場 磯野くん」でホールのアルバイト(時給760円)をしながら、バイト代が入ると100円ショップに行き、100均のメイク道具を買い、先輩モデルのメイク方法を実践しながら練習して習得していきました。
新品の洋服は手が届かない為、吉祥寺パルコの屋上で開かれているフリーマーケットで購入していたそうで、おかげで着回しが上手くなったと言います。
努力の結果、雑誌「二コラ」ではメイク特集を任されるようになり、清純路線の雑誌でありながら、カラコンを付けることを唯一OKをもらったりと、ニコルさんの努力とその個性が認められるようになったのでした。
まとめ
ハーフモデルというと裕福な家庭に育った人も多い中、藤田ニコルさんは小さい時から母親の苦労を見て育ってきていて、人一倍、責任感が強い人のようです。勉強は本当にできないらしいですが、モデル・タレントとしてここまで成功できたのは偶然ではなく、地頭の良さと努力の結果ではないですほうか。
それはツイッターなどのSNSも上手く使っていることにも表れていますし、「メイクでこれだけ変わることができるんだ」と世の女の子の憧れるリーダーとして君臨するに至りました。
これからどのように活動の場を広げていくのかがとっても楽しみです。
コメント
マジ間違えすぎなw
雑誌名間違いまくりだよー、ちゃんとしようよ
にこるんの生年月日19958になってるよwww
ありがとうございます!変更いたしました。