大坂なおみ選手が、9月8日の全米オープン決勝でセリーナ・ウィリアムズを破り、日本人として史上初のグランドスラム制覇を果たしました。
大坂なおみ選手は試合後、母親の環さんのもとへ駆けつけ涙のハグを交わしました。
日本では、環さんの実家で北海道根室市に住む祖父の大坂鉄夫さんが笑顔で取材に答えていました。
とても感動のシーンでしたが、なおみさんが生まれる前、母親の環さんは父親のレオナルド・フランソワさんとの交際を根室の祖父母に認めてもらうことが出来ず、大阪へ移り住んで結婚し、なおみさんと姉のまりさんを生んだのでした。
実家の祖父母とは結婚後10年に渡って話しをすることもない断絶状態だったといいます。
大坂なおみ選手と母親の強い絆を写真画像などとともに見ていきたいと思います。
大坂なおみの母親の涙がグッと来る!【動画】
The power of love…
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— US Open Tennis (@usopen) 2018年9月8日
「愛の力…(The power of love)」
全米オープンで優勝を決めた後、駆けつけたスタンドでの大坂なおみ選手と母親の環さんの感動の瞬間の動画を、大会公式ツイッターはこのコメントを添えて公開ツイートしました。
もう少し長い動画がこちらになります。
❤️❤️❤️❤️@Naomi_Osaka_ soaks in the love…https://t.co/VtxXIM1nti#USOpen pic.twitter.com/539G2daAsu
— US Open Tennis (@usopen) 2018年9月8日
大坂なおみ選手の大成長の理由と言われる昨年末から一緒に練習を始めたサーシャ・ベージンコーチ(33歳)と喜びを分かち合った後、ベージンコーチが、母親の環さんを誘導して、2人の感動のシーンとなります。
優勝セレモニーのインタビューで、この時の母親とのシーンについて尋ねられた大坂なおみ選手は、
「お母さんは私のためにたくさんのことを犠牲にしてきてくれて..それに、私の試合を観戦することは母にとっては大きな事なんです。だって普段の試合だったら来てくれないから。」
と冗談も交えつつも母への感謝の意を表していました。
大坂なおみの母親は実家の根室の祖父から勘当されていた
Played escape room with the family ❤️ pic.twitter.com/q3jc87lwWW
— NaomiOsaka大坂なおみ (@Naomi_Osaka_) 2018年2月4日
大坂なおみ選手は、1997年10月16日、大阪で誕生しました。
母親は日本人の大坂環さん(47歳)、父親はハイチ出身でアメリカ国籍のレオナルド・フランソワさんです。
環さんの父親は、現在、根室漁協の組合長の大坂鉄夫氏(73歳)です。
母親の環さんは、北海道の最東端の根室市で生まれ育ちましたが、彼女の母親が高校は北海道の首都である札幌市の学校に送り出してくれたのでした。
環さんは父親のフランソワさんと1990年頃、札幌で出会います。
父親のフランソワさんはアメリカ・ニューヨークから来たハンサムな大学生で、環さんは19歳でした。
2人はデートをするようになりますが、環さんの両親には数年間、秘密にしていました。
その理由は、フランソワさんはハイチ出身の黒人で、その頃、北海道に黒人はわずかしかおらず、両親に理解してもらえないと踏んでいたからでした。
環さんが20代前半になると、フランソワさんという恋人がいることを知らない父親の鉄夫さんは、しきりにお見合いを薦めてきたのだそうです。
そこで遂に環さんは、フランソワさんと付き合っていることを告白しますが、案の定、フランソワさんが外国人、それも黒人であることを知った父親の鉄夫さんは、大坂家の名前に泥を塗るのか、と激高し、環さんを罵ったと言います。
そこで、環さんとフランソワさんは北海道を離れ、仕事を見つけることができた大阪に移り住んだのでした。そして、長女のまりさんと、次女のなおみさんの2人の娘を授かったのでした。
大坂なおみ選手が大阪生まれなのは、そんな背景があったからでした。
その後、大坂なおみさんが3歳の時(2000年)に、家族はアメリカに移住を決断します。
父親のフランソワさんの仕事の関係と、2人の娘が始めていたテニスの環境を考えてのことでした。
その後、2006年にはテニスに集中できる環境を求め、アメリカのテニスの聖地であるフロリダに家族は引っ越します。
フロリダでは、娘のまりさんとなおみさんは日中は市営のコートでテニスの練習をして、夜に自宅で学習をするという体制を取っていました。
中学・高校はオンラインで学習のできる学校で学んでいました。
環さんとフランソワさんの結婚を認めなかった根室の実家とは、その間、10年以上に渡って、ほぼ連絡が取れない状態だったそうです。
大坂なおみさんが11歳の時、
母親の環さんは、15年ほど疎遠となっていた日本の祖父母に孫のまりさんとなおみさんを会わせようと、実家の根室の家を訪ねました。
久々の帰郷は、環さんの期待通りにはいきませんでした。
根室の祖父母は、2人の孫に興味を示したものの、自宅学習とテニスの練習をしていることに対して、テニスはお遊びだよ、仕事にはできないよ、と嘲笑ったのでした。
大坂なおみの活躍に祖父母も遂に認め応援する現在へ
Semis ❤️ pic.twitter.com/o5JEkNT5pX
— NaomiOsaka大坂なおみ (@Naomi_Osaka_) 2018年9月5日
環さんが意を決して、娘たちを根室の実家の祖父母に会わせてから約9年後の現在、
次女の大坂なおみさんは全米オープンで優勝し、380万ドル(約4億1800万円)の賞金を獲得しました。
「テニスはお遊びで仕事ではない」
そんな祖父母から受けた嘲笑を、大坂なおみさんは実力で認めさせることに成功したのでした。
孫娘の快挙に、日本のメディアからの取材に応じた祖父の大坂鉄夫さんは、なおみさんへの祝福の意を表しました。
実際には、祖父の鉄夫さんは、3、4年前に、東京を訪れた孫娘のなおみさんに、
「有名な選手はみんなピアスをしているから、じいさんが買ってやる」
といって、ピアスをプレゼントしてあげたそうです。
大坂なおみさんのピアスというとネックレスとお揃いのパール(真珠)ですよね。
パール(真珠)は日本の象徴とのことで、パールが汗に弱いのを承知で付けているそうですが、どうやらおじいさんからのプレゼントのようです。
そして、日本人選手として日本テニス協会に登録している大坂なおみさんの現在の居住地は、祖父の鉄夫さんの別宅のある札幌の住所になっているとのこと。
大坂なおみさんは、大阪生まれ、フロリダ育ち、フロリダ在住だけど札幌市民、ということのようです。
父親のフランソワさん、母親の環さんの苦労と期待に応え才能を開花させた大坂なおみさんが、断絶状態となっていた、環さんの根室の実家との関係修復に大いに貢献しているようです。
母親の環さんが全米オープンの会場で流した涙は、実に多くのことを物語っていたのではないでしょうか。
大坂なおみさん、環さん、おめでとうございます。
環さん、素晴らしい娘さんを育ててくれて、日本人の私たちに多くの感動を与えてくれてありがとうございます。
これからの大坂なおみさんの益々の活躍を期待しております。
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国籍はハイチ