星野仙一監督 膵臓癌の病気で激やせ姿【画像】が殿堂入りパーティーで目撃されていた!経歴プロフィールと楽天コメント全文

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日本球界に大きな功績を残した元楽天の星野仙一監督が2018年1月4日に亡くなったことがわかりました。年齢は70歳でした。星野仙一監督は年末に病気が悪化し、正月休みを家族とハワイで過ごす予定を急遽、取りやめていたとのこと。楽天は星野仙一監督の死因は膵臓癌と発表しました。

去年の2017年11月に行われた星野仙一監督の野球殿堂入りを祝うパーティーでは、激やせ姿が目撃されていましたが、これが星野仙一監督の最後の公の場となりました。

葬儀は故人の希望により密葬にて行われますが、後日、まだ日程は未定なものの、お別れの会を予定しているとのことです。

こちらでは星野仙一監督の1969年の現役時代から現在に至るまでの経歴プロフィールや、最後の姿となった殿堂入り会での写真画像、楽天が発表した死去に際するコメント全文を紹介しています。

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星野仙一監督死去【経歴プロフィール】

星野仙一氏は岡山県岡山県児島郡(現・倉敷市)出身の元プロ野球選手・監督。
生年月日は1947年1月22日で、享年70歳でした。

星野仙一監督のプロ野球選手としてのスタートは1968年のドラフト会議で、中日ドラゴンズから1位指名を受けたことから始まります。

1969年の22歳で中日に入団した星野仙一監督は、現役時代は「燃える男」と呼ばれており、中日のエースとして活躍しました。1974年の27歳の時に沢村賞・最多セーブ賞を受賞しています。

星野仙一監督は、打倒巨人に野球人生のすべてを捧げたことで知られており、巨人戦では驚きの通算35勝を記録しました(全146勝中)。

1982年の35歳の頃になると現役選手としては衰えが顕著となり、1983年からは野球解説者や野球評論家として活躍を始めます。

1986年(現役を引退した4年後)の39歳で中日の監督に就任し、就任2年目の1988年(41歳)と13年目の1999年(52歳)に中日を2度のリーグ優勝に導きました。

2001年の54歳の時、中日監督を退任した後、再び、解説者としての打診を受けていましたが、
当時低迷していた阪神タイガースの監督に就任し、その阪神を2年目の2003年にセ・リーグ優勝に導きました。
ダイエーと戦った日本シリーズは3勝4敗で日本一とはなりませんでしたが、かねてから高血圧症の持病のある星野仙一監督は、日本シリーズ終了後に監督の地位から勇退することとなりました。

2007年(60歳)には北京オリンピックの日本代表監督に選ばれ、2008年に「星野JAPAN」としてオリンピックに出場します。結果は4位に終わりました。

2010年(63歳)には楽天の監督に就任し、東日本大震災から2年後の2013年にリーグ優勝を果たし、悲願の日本一をかけて生涯のライバルである巨人と日本シリーズで対戦し、4勝3敗で楽天として初めて、そして、星野仙一監督自身初の日本一を達成します。星野仙一監督66歳の時でした。66歳でのリーグ優勝と日本一は、プロ野球最年長優勝記録となりました。

2014年5月、星野仙一監督(当時67歳)は、持病の腰痛を悪化させ休養に入りますが、
診断で、腰椎の椎間板ヘルニア」と厚生労働省が難病に指定する「胸椎の黄色じん帯骨化症」であることが発表されました。手術を受け、同年7月から監督に復帰をしますが、この年、楽天の成績は低迷し、今季かぎりでの監督退任を発表しました。その後、2015年に楽天の球団取締役副会長に就任して現在に至っていました。

そんな星野仙一監督の最後の公の場となったのが、去年2017年11月28日の星野仙一監督の「野球殿堂入りを祝う会」でした。そこでは、星野仙一監督の激やせ姿が目撃されており、話題となっていました。

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星野仙一監督 昨年11月に病気での激やせ姿が話題に

星野仙一監督は日本球界に大きな功績を残したとして去年2017年に「野球殿堂入り」を果たしました。

「星野仙一氏の野球殿堂入りを祝う会」が2017年11月28日に東京で、12月1日には大阪で開かれました。

そこでの星野仙一監督の姿が公の場としては最後のものとなりましたが、この時の星野仙一監督は、激やせしており、がんではとの心配が噂されていました。

激やせ姿の星野仙一監督でしたが、パーティーには教え子で楽天が日本一となった2013年にエースとして活躍した現・ヤンキースの田中将大投手も出席し、壇上では、星野仙一監督との軽快なやり取りが繰り広げられました。

星野仙一監督「お前が投げたいと言ったの?」

日本シリーズ第7戦で、前日に160球を投げた田中将大投手を最終回のマウンドに起用した件について、

田中将大投手「投げたい・・・ちょっとどうだったか曖昧なんですけど・・・投げるつもりではいました!」

星野仙一監督「そうしたらこの前のテレビおかしいじゃないか!『僕投げたいなんて言ってません』言って・・・」

星野仙一監督「私がだまされたのがいい結果になったな、ということです。」

星野仙一氏は、監督時代と変わらぬ厳しさでツッコミをいれ、田中将大投手が思わず苦笑いする場面などがありました。

星野仙一監督は、名古屋の中日、大阪の阪神、仙台の楽天と異なる3球団でリーグ優勝を果たし、巨人の監督にもなるのではとの話しもあったといいますが、叶わぬ夢となってしまいました。

その星野仙一監督の死因については、かねてから噂のあった膵臓癌であったことが発表されました。

星野仙一監督の死因は膵臓癌

星野仙一監督の死去にあたり、当初、具体的な死因が報じられていませんでしたが、1月6日、楽天は、死因が膵臓癌であることを発表しました。

2016年7月に急性膵炎を発症した際に、膵臓癌であることが判明し、昨年末に病状が悪化し、2018年1月4日午前5時25分、家族が見守る中、昼寝でもしているかのように安らかに永眠されたとのことです。

以下、楽天が発表したコメント全文になります。

報道関係各位

いつもご取材いただきまして、ありがとうございます。

株式会社楽天野球団は、星野仙一取締役副会長が2018年1月4日(木)午前5時25分に永眠されましたことをご報告いたします。

2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓癌であることが判明いたしました。

その後、体調に波はあったものの仕事に支障をきたすことなく過ごしておりましたが、2017年12月末より病状が悪化し、息を引き取られました。

最期は昼寝でもしているような安らかな表情でご家族に看取られて旅立たれました。

故人の強い意思に従い、葬儀は密葬にて執り行われます。

故人の意思とはいえ、大変お世話になった方々に対し、十分なご報告をせぬまま、この日を迎えてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。

人前では常に強気を貫いた「星野仙一」のスタイルを最後まで全うしようとしたことですので、何卒ご容赦ください。

息を引き取る直前まで「コーチ会議に出られるかな」と言っておりましたように、最後の最後まで野球に情熱を燃やし、野球に一生を捧げた星野副会長でした。

故人に代わり、今まで支えてくださった全ての皆様に感謝申し上げます。

尚、後日にお別れの会を予定しております。

詳細が決まりましたら改めてご連絡させていただきます。

誠に勝手ではございますが、供物、供花、弔電などはご遠慮させていただきますこと、ならびに、本件に関わる問合せ先は、株式会社楽天野球団としていただけますようあわせてお願い申し上げます。

元楽天・星野仙一監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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