野球選手・監督として活躍した星野仙一さんがお亡くなりになりました。年齢は70歳でした。
星野仙一監督には、坂本冬美さんとの間に生まれた子供(隠し子)がいるとの噂がありますが、2003年には週刊現代が坂本冬美さんとの再婚スクープを報じました。その時のスクープの内容や経緯、そして真相に迫ります。真相を解明する鍵として星野仙一さんの亡き嫁や実の娘、三重県の永井病院について調べてみました。
星野仙一さんは、2016年7月にがん告知を受けた後、この三重県の次女方の病院で療養を続け最期を迎えました。
元楽天・星野仙一監督がすい臓がんで死去
元楽天監督の星野仙一さんが2018年1月4日、すい臓がんのため亡くなりました。享年70歳でした。
星野仙一さんは岡山県倉敷市出身で、倉敷商高を経て、1968年に明治大学からドラフト1位に選ばれ翌年、中日に入団します。野球選手の現役時代は投手として闘志溢れる投球で活躍しました。現役引退までに通算146勝を記録し、その内35勝は巨人戦で勝ち取ったものでした。
引退後は、中日、阪神、楽天の監督に就任し、3チームで合計4回のリーグ優勝に導き、2013年には震災地となった仙台・楽天に日本一をもたらし、地元の人々に勇気と希望を与えてくれました。
監督としての3球団としてのリーグ優勝は三原脩、西本幸雄に続き史上3人目で、監督としての通算成績は歴代10位の1181勝を上げました。
そんな星野仙一監督のプライベートはどのようなものだったのでしょうか。
星野仙一監督の家族、父親・母親、嫁と娘について
星野仙一監督は1947年1月22日、岡山県児島郡福田町(現・倉敷市)で生まれました。
父親は正田仙蔵さんで、母親は星野敏子さん。
星野仙一監督の父親と母親は、それぞれ正田家、星野家の生家の跡継ぎだったため入籍はしませんでした。
父親の正田仙蔵さんは、星野仙一監督が生まれる前の母の胎内にいた7か月の頃、48歳で亡くなっています。当時、母親の敏子さんは35歳でした。
星野仙一さんには2人の姉がおり、姉2人は正田の姓を継ぎ、最後に生まれた仙一さんが、当初の決まり通り、母方の星野の姓を継ぎました。
そんな星野仙一さんは、中日に入団した1969年の22歳の時に、嫁の扶沙子さんと結婚します。
嫁の星野扶沙子さんは慶應大学卒業の才女だったそうです。
星野仙一さんは、明治大学(政治経済学部経済学科)を卒業していますから、東京に上京してから2人は出会い、学生恋愛の末の結婚となったようですね。
星野仙一さんと扶沙子さんの間には2人の娘さんがいらっしゃいます。
嫁の扶沙子さんは、1997年に白血病で亡くなっています。
その後、星野仙一さんは独身のまま監督として野球人生を続けてきましたが、
ネットでは坂本冬美さんとの間に子供(隠し子)がいるのではとの噂がありました。
星野仙一監督と坂本冬美の子供(隠し子)説とは?
2003年の11月に、週刊現代が「星野仙一が演歌歌手、坂本冬美と再婚へ――仰天情報を追う」としてスクープ記事を掲載しました。
坂本冬美さんは和歌山県出身で、1967年3月30日生まれの現在、50歳です。
演歌歌手として活躍していた坂本冬美さんでしたが、2002年3月に持病の膵臓炎の治療に専念するなどして、歌手業を含めた芸能活動を休止することを発表し、それまで住んでいた自宅を売却し、実家のある和歌山県で休養生活に入ったとされていました。
突然の芸能活動休止に加え、自宅も売り払うなどの行動が身辺整理と捉えられ、坂本冬美さんには重病説の他、様々な憶測が飛び交い、その中の1つが、星野仙一監督の子供を妊娠し、隠し子出産のために休養を選んだのではと噂されました。
というのも、その後、坂本冬美さんは、芸能活動休止を宣言した1年後の2003年3月にテレビ復帰し、芸能活動の再開を果たしています。
結局は1年間だけの休養となったことから、子供を産むための休みだったのではと噂が大きくなったものと見られます。
この時、星野仙一監督50歳、坂本冬美さんは35歳ですので、年齢的には子どもをもうけることは可能です。子供が生まれているとすれば、現在、15歳になっているはずですね。
週刊現代の報道に際し、双方とも事実を否認し、星野仙一さんは、法的措置として、出版社の講談社を相手取って、プライバシー侵害の訴訟を起こしています。
裁判所は、「記事は情報を検証し、真義が判明しなかったことを伝えただけで、プライバシーを侵害していない」として、星野仙一監督の請求を棄却しました。
スクープ記事でも真偽は判明しておらず、真相は闇の中かと思われましたが、
その後の子供に関する噂を紐解いていくと、どうやら、星野仙一さんの実の娘とその子供の情報が錯綜していることがわかりました。
ネットでは坂本冬美さんは三重県津市の病院で極秘出産し、生まれた子供は、坂本冬美さんの親族が養子にしたとされています。その後も、子供が三重県津市の小学校に通っている等の噂があったようです。
坂本冬美さんの実家は和歌山県ですので、三重県津市の小学校に通っているはずもなく、
三重県津市の病院に関係があるのは、星野仙一さんの実の娘の方だったのです。
星野仙一監督の娘と永井病院との関係とは?
星野仙一監督には亡き嫁の扶沙子さんとの間に2人の娘がいらっしゃいます。
その内の次女が、三重県津市の永井病院に勤める医者と結婚をされたのだそうです。
それが、永井病院の現在の院長で、名前は星野康三さんです。
永井病院の理事長の名前は永井盛太さんですので、康三さんも旧姓は永井だったことが推測されます。
星野仙一さんのお子さんはいずれも娘さんですので、次女が星野の姓を継いで、旦那さんが星野姓となったと思われます。
星野仙一さんはかつて、「(娘が三重県に嫁いだため)三重県からの講演のお願いは断れない」と講演の中で語っていたそうです。
三重県津市の病院であったり、津市の小学校に通っているのは、星野仙一さんの実の娘や、実の娘の子供のお孫さんのこととと考えたほうが良さそうですね。
坂本冬美さんとの間の隠し子説の真相は不明のままですが、三重県津市の病院での極秘出産やその子供が津市の小学校に通っているのは実の娘やお孫さんと勘違いからのことであったようです。
星野仙一さんは、2016年7月にがん告知を受けた後、この次女方の永井病院で療養を続けていたのだそうです。
転移もしていたそうですが、最期までモルヒネを投与することは拒否していたとのこと。
がんであることは星野仙一監督の希望で家族と楽天の球団幹部のみしか知らされていなかったといいます。
そしてそのまま最期を次女方で迎え、70年の人生に幕をおろしました。
星野仙一監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
コメント
星野仙一さん田淵さんが殿堂入りを果たされました。山本さんと三人でお祝いですね。おめでとうございます。