津川雅彦の娘の真由子を誘拐した犯人の名前や動機とは?完全犯罪ならずの誤算に迫る!

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津川雅彦さんと朝丘雪路さんの一人娘の真由子さんが誘拐され、身代金を要求される事件が1974年に起こりました。

深夜に自宅から連れ去られた5か月の愛娘、真由子ちゃん。
誘拐犯人は時代の盲点をついた完全犯罪を目論んでいました。

犯人の名前や動機とは、そして、津川雅彦さんが娘の誘拐で諦めた親としての覚悟とは?

警察、報道、銀行やシステムエンジニアの協力なくしては解決とならなかったこの事件の42年間語られなかった真実が明かされました。

津川雅彦・朝丘雪路の一人娘が誘拐される!

それは今から42年前の1974年、昭和49年のことでした。

当時の大卒初任給は、平均78,700円で、巷ではフィンガー5の「恋のダイヤル6700」が大流行していました。

津川雅彦さんは、前年の1973年に朝丘雪路さんと結婚をして、東京・世田谷の高級住宅地の邸宅で、人がうらやむ裕福な生活を始めていました。

津川雅彦さんは、1940年1月2日生まれの、現在76歳、当時34歳。

日本映画の父と呼ばれる牧野省三を祖父に、父親は俳優の沢村国太郎、母親は女優のマキノ智子、兄も俳優の長門裕之と、役者の家系に生まれた津川雅彦さんは、銀幕スターの道を駆け上がり、数々の映画に出演する人気俳優でした。

朝丘雪路さんは、1935年7月23日生まれの、現在80歳、当時39歳。

父親は日本画家の伊東深水、母親は料亭「勝田」女将のお嬢様育ちの朝丘雪路さんは、宝塚歌劇団を経て、バラエティ番組に進出し、そのユニークなキャラで大人気となっていました。

そんな忙しい2人の生活を支えるために、自宅では住み込みのお手伝いさんが数人働いていました。

1974年3月18日、2人の間に長女となる子供が誕生しました。

眉毛が濃いから真由子と名付けられた娘に恵まれ、家族は幸せの絶頂にありました。

しかし、その5か月後の8月に、とてつもない悲劇が起こりました。

昭和49年8月15日、午前0時、

いつも夜中まで起きていることが多い津川さんでしたが、その日に限って0時には眠り込んでしまっていました。

愛娘の真由子ちゃんの世話は、看護師が住み込みで行っており、その日も数時間置きにミルクを飲ませ、寝かしつけていました。

昭和49年8月15日、午前2時、

津川家に男が忍び込み、真由子ちゃんを誘拐していきました。

「旦那様?」

男の後ろ姿をうろ覚えで眺めていた看護師は、津川さんが真由子ちゃんを連れて行ったのだと思い込んでしまいました。

その30分後、胸騒ぎで目を覚ました看護師は、真由子ちゃんがいなくなっていることに気づき、津川さんが真由子ちゃんを連れ出したのか確認しに行きました。

真由子ちゃんの姿は、津川さんの寝室にはありませんでした。

家中のどこを探しても真由子ちゃんの姿はなく、津川さんを始め全員がパニックになりました。

そして、津川さんは、戸締りしたはずの玄関のドアの鍵が開いていることに気づきます。

近くの交番に真由子ちゃんが誘拐されたことを言い、

津川さんは、裸足のまま、夏だったため上半身には何も着ない状態のままで、自分がどんな格好かも気づかず探し回り、交番に真由子ちゃんが誘拐されたことを連絡したのでした。

すぐに、警視庁と世田谷署の合同捜査チームが結成され、犯人との闘いがはじまりました。

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誘拐犯人からの身代金の金額と受け渡し方法とは?

昭和49年8月15日午前4時、

津川家の電話が鳴り響きました。

普段通りお手伝いさんが電話にでると、犯人からの電話だったため、警察が津川雅彦さんのふりをして電話に出ました。

犯人:「子供を預かっている。」

津川さんになりすました警察:今、どこにいるんですか?

犯人:「そんなこといいんだ。こっちも命がけなんだから。無事だよ。子供はすぐそばにいる。警察に知らせたか?」

津川さんになりすました警察:いやそんなことはしません。とにかく子供を返してください。

犯人:「知らせたら二度と子供に会えないと思え。」

津川さんになりすました警察:一体どうすればいいんですか?

犯人:銀行に振り込むことは出来るか?

じゃあ、今から言う口座にふりこんでくれ。

荒川区緑町4-19
ナカムラジュンイチ
第一勧業銀行 新宿支店
口座番号 1326387

津川さんになりすました警察:いくら振り込めばいいんですか?

犯人:「500万円。明日の昼12時まで時間をやる。それまでに用意しろ。」

そういって電話は切れました。

犯人との電話は約6分の長さでしたが、犯行から2時間後の午前4時と、予想以上に犯人からの身代金要求の連絡が早かったため、逆探知の準備が出来ず、手がかりは何もつかめませんでした。

犯人は身代金の受け渡しに銀行の振り込みを要求してきたのでした。

当時の昭和49年には、銀行口座は偽名で簡単に作ることができました。
今のように身分確認をして銀行口座を作るのではなく、誰の名前でも自分で勝手に名前を作って口座を作ることが出来たのでした。

つまり、犯人が伝えてきた住所も名前も本物のはずがありませんでした。

さらに、第一勧業銀行がキャッシュディスペンサーのサービスを開始したのは事件の前年の昭和48年でした。

当時は、キャッシュディスペンサーを利用して、全国のATMから現金を下した時に、どこのATMであるかを瞬時に特定するシステムはまだありませんでした。

第一勧銀の口座から引き下ろせるキャッシュディスペンサーの設置場所は、全国の支店303か所の自動支払機120台で、利用者は既に100万人を超えていました。

最新のシステムを悪用すれば、犯人は身代金をいつどこでおろすかわからないのでした。
手がかりも見つからなければ、逮捕のチャンスも見当たりませんでした。

誘拐犯人の事件前の不可解な行動とは?

昭和49年8月15日早朝

警察は第一勧業銀行のシステム管理センターを訪れていました。

犯人が現金を引き下ろしたら瞬時に、どこのATMであるかが判明できるオンラインシステムのプログラム変更を打診しますが、この日の昼までに行うのは時間的に不可能でした。

しかし、犯人についてあることが判明しました。

犯人が伝えて来たナカムラジュンイチの口座を照合すると、不可解な行動が見えたのでした。

事件のおよそ1ヶ月前、犯人と思われる人物は、第一勧業銀行の新宿支店で口座を作り、この時、現金1万5千円を口座に預け、キャッシュカードを手にしていました。

しかし犯人はすぐに別の支店のキャッシュディスペンサーで現金を引き出していました。まずは足立区の千住で5千円、その後、西新橋で5千円、八王子に移動して3千円、次は池袋で1千円と現金を数回に分けて引き出し続けていました。

「どこのキャッシュディスペンサーでも20秒で現金を引き出せる。」

犯人は引き出すのに要する時間をテストしていたのではないか、と警察は推理しました。

ところが、犯人が引き出した金額は預けた1万5千円中、合計1万4千円で、1千円だけ口座に残していました。

これが後に事件を大きく左右することになりました。

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誘拐犯人の手がかりが無い警察が取った方法とは?

警察は、顔も年齢も居場所もわからない犯人逮捕のために、全国の警察官500人を動員して、第一勧業銀行の全てのキャッシュディスペンサーに警察官を配備しました。

その時点で手がかりになるのは、ナカムラジュンイチと名前の書かれたキャッシュカードだけでした。

キャッシュディスペンサーで現金が引き出されるたびに、刑事が顧客を包囲して犯人を捜すという方法しかありませんでした。

津川雅彦さんは、早速、身代金を振り込みましたが、その後、犯人から連絡はありませんでした。

津川雅彦さんは、次に犯人から電話がかかってきた時のためにと、逆探知をするために電話を引き伸ばす問答集を警察から渡されました。

津川雅彦さんは、普段、セリフを覚えるよりも必死になって覚え、全てを暗記したんだそうです。

一方、極度の緊張により朝丘さんは何度も吐き続けていました。

目の前で真由子ちゃんを連れ去られた看護師は警察から共犯を疑われていました。

犯人の侵入経路が風呂場だと判明すると、最後に風呂に入ったお手伝いさんが鍵を閉め忘れたことが判明し、彼女も共犯を疑われました。

昨日まで信じ合い助け合ってきた仲間が、お互いを疑い会う事態となってしまいました。

身代金の受け渡しは明日の昼12時とは?

身代金の要求があったのは、8月15日の午前4時で、犯人の言う明日の昼12時というのが、その日15日の昼12時のことなのか、翌日の16日の昼12時なのかが分からないままでした。

約束と思われるその日15日の昼12時が近付いていました。

ところが、身代金要求から9時間後の午後1時になっても、犯人からは何の動きもありませんでした。

この時、犯人の言っていた明日の昼12時が、今日ではなく翌日16日の12時であることが判明したのでした。
この時、戦況は有利に傾いていきました。

1日時間に猶予が出来たことで、犯人がどこでお金を下したかが瞬時にわかるシステムの変更ができるのではないか。

警察、銀行、報道が真由子ちゃんの命最優先で結束する!

警察から再び依頼を受けた銀行は、明日の朝までに完成させるべく動き始めました。

第一勧銀のキャッシュディスペンサーサービスが始まったのは僅か1年前のことで、システムの変更は異例中の異例でした。

しかも僅か1日で行うことなど不可能に近いことでしたが、幼い子の命がかかっているとシステム部が総動員で動いてくれたのでした。

この時、日本の報道も大きく変わることとなりました。

8月15日の朝刊には、どの新聞にも誘拐報道は書かれていませんでした。
芸能界のトップスターの娘の誘拐という世紀の大スクープをどこも報じなかったのです。

実は、遡ること10年前、1963年にも子供の誘拐事件がありました。通称吉展ちゃん事件。
東京台東区で、公園に行くと言って行方不明になった4歳の男の子が誘拐され、後に遺体となって発見された事件です。

吉展ちゃん事件のときは、すぐにマスコミ各社が報道していしまったのでした。
その後、日本で初めて報道協定というものが結ばれましたが、警察とマスコミは吉展ちゃんが遺体で発見されたことで、大きな後悔があったと言います。

津川雅彦さんの娘の誘拐事件の時は、子供の命を最優先させるため報道協定によりどの社も報道を自粛したのでした。

津川雅彦さんが娘の誘拐で諦めた親の覚悟とは?

身代金の受け渡しまで時間が延びたとはいえ、時間が伸びれば伸びるほど、命を失うリスクは高くなってしまいます。

かつて起きた誘拐事件では人質が無事に戻ってきたケースは多くはありませんでした。

娘の真由子ちゃんさえ戻ってくればどうでもいいという嫁、朝丘雪路さん、

一方、津川雅彦さんは、真由子ちゃんの命を最優先するあまり、警察の捜査が進んでいないのではないかと考えていました。

津川さんは、もう真由子ちゃんは亡くなったものと覚悟しようと、親の覚悟とはそういうものだろうと考えたのでした。

そして、津川雅彦さんは警察にこう伝えたのでした。

「娘の命は諦めました。ですから、犯人は必ず捕まえてください。こういう犯罪は、二度と起こさせてはいけないので、こういう犯罪は成立しないということを世の中に示してください」と警察に伝えたのでした。

たった5ヶ月でしたが、娘の真由子ちゃんとの時間は幸せでした。
娘の命を諦めることを覚悟したと言ったその自分の言葉に押し殺していたものが溢れ出しました。
この時、津川さんは初めて泣いたのでした。

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誘拐犯人を取り逃がしかねない20秒の差とは?

昭和49年8月16日早朝

第一勧業銀行対策室。

「できた!間に合った!」

第一勧業銀行のシステムエンジニアたちは、犯人が現金を下した瞬間に、どこで引き出したかが分かるオンラインシステムを完成させたのでした。

そして早速、システムのテストが行われました。

オンラインシステムの手順は以下の通りでした、

1.犯人がキャッシュディスペンサーにカードを入れる

2.対策室のタイプライターに店舗番号が印字される

犯人が出て来た現金を取り出す(ここまで20秒)

3.対策室にいる警察が本部へ店舗の場所を電話で伝える

4.警察本部から現場の刑事に連絡する

5.現場の刑事が犯人の元へ向かう(ここまで40秒)

犯人が現金を引き出すのに要する時間は20秒、それに対し、現場の刑事に連絡が行くまでに必要な時間は40秒かかってしまいます。この差の20秒で車に乗られてしまったら犯人を取り逃してしまうことになります。

どうすることも出来ず、8月16日の昼12時を迎えることになりました。

誘拐から34時間、いよいよ犯人が動き出しました。

システム部のタイプライターが動き出したのでした。

店舗番号は0026、東京駅の丸の内南口の出張所から犯人は現金を下そうとしていました。

・・・・

「犯人確保!逮捕されました!」

犯人は東京駅丸の内南口の出張所から出て来たところで、逮捕されたのでした。

なぜ20秒の差がありながら、逮捕することができたのでしょうか。

それには犯人の誤算があったのでした。

誘拐犯人の誤算や動機とは?真由子ちゃんは無事なのか?

当時のキャッシュディスペンサーは現在のように液晶画面ではない為、現金を引き出さないと残高が分からない仕組みになっていました。

そこで犯人はまず2000円を引き出したのでした。

犯人は2000円引き出すことが出来たことで、身代金が振り込まれているのを確認し(ここまでに20秒)、2度目に限度額に近い29万円を引き出したので、合計40秒を費やしていたのでした。

この間に現場に駆け付けた刑事によって逮捕となったのでした。

犯人は後にこう証言していました。

「絶対につかまらないと思ったのに、40秒しか経たないうちに捕まるとは・・・」

犯人は当時23歳の男性でしたが、逮捕から数時間たっても真由子ちゃんについては口を割りませんでした。

しかし、男の指紋から前科があることが判明し、住所が割り出されたのでした。

警察は千葉県我孫子市の男の自宅に急行しました。

犯人の自宅アパートには、犯人の嫁と1ヶ月の子供がいました。
そして、友達の子どもだから世話をしてくれと犯人に頼まれた真由子ちゃんがいました。

誘拐から41時間後の8月16日午後7時15分、真由子ちゃんは無事に発見され保護されました。

犯人が犯行を企てたのは、嫁が出産後すぐのことで、後に犯人は生活費のために真由子ちゃんを誘拐したと自供したのでした。

犯人は当初、佐川満男さん、伊東ゆかりさんの一人娘、宙美ちゃんを誘拐しようと思っていましたが、住所がわからなかったために、津川さんの娘、真由子ちゃんに変更したのでした。

犯人は、津川雅彦さんの家庭状況や、自宅の住所や間取りの知識を週刊誌などから予め得ていたのでした。

その後の裁判で、犯人には懲役12年6か月の刑が確定しました。

誘拐事件を津川雅彦さんが振り返って語った言葉とは?

金の受け渡し、警察の動き、報道の姿勢、どれ1つでも間違ったら子供の命はなかったかもしませんでした。この事件は日本のあり方さえも変えるものとなりました。

あれから42年、現在、76歳の津川雅彦が、世紀の大事件を振り返りこう語りました。

「起こったことはすべて正しい。

どんな不幸なことが起こっても、その起こった時に、これは正しいことにするんだ。起こったから、その後、良くなったんだと。

真由子の誘拐の時は、その後、結果が良くなって、真由子に対する親としての意識が相当深まりましたからね。それは人間として、大変プラスになったと思っているんですね。

だから不幸なことが起こった時がチャンスなんだ、

と思えるようになったね。」

end

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