ビッグ・マンモスの山崎圭一(やまざきけいいち)さんのWikiプロフィールや画像や動画を探してみました。
山崎圭一さんは、武田久美子さんの初恋の相手で、2人は中学時代に付き合っていたことを武田さんが5月30日に放送の「7時にあいましょうSP」で明かしてくれました。
山崎圭一さんのWiki風プロフィール
名前 | 山崎 圭一(やまざき けいいち) |
愛称 | ヤセヤマ |
生年月日 | 1967年7月27日(しし座) |
出身地 | 東京都品川区 |
血液型 | AB型 |
家族 | 父、母(喫茶店経営)、弟(山崎公彦・ビッグマンモス第3期メンバー) |
趣味・特技 | 野球 |
背番号 | 27 |
山崎圭一さんが所属していたビッグ・マンモスは、フジテレビの子供向け番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」から生まれたアイドルグループで、1975年に結成され、番組が終了する1982年まで活動をしていました。
15人前後の人数で、1975年9月の1期生から1981年5月の7期生まで、メンバーの入れ替えを行いながら続いてきました。
可愛い小学生メインの男の子たちが歌って踊る日本初の少年ダンスグループで、当時、10代の女子を中心に絶大な人気がありました。
「ママとあそぼう!ピンポンパン」は、NHKの「おかあさんといっしょ」を意識した子供向け番組でしたが、ビッグ・マンモス見たさに、10代の女の子がこぞって番組を見ていたわけです。
山崎圭一はビッグ・マンモスの背番号27のヤセヤマ
ビッグ・マンモスのメンバーはそれぞれ背番号あり、1976年3月に2期生として入った山崎圭一さんの背番号は「27」で、愛称はヤセヤマでした。加入当時、山崎圭一さんは東京・品川区立鈴ヶ森小学校の4年生、8歳でした。
翌年の1977年10月には3期生として学年が1つ下の弟の山崎公一さんがビッグ・マンモスのメンバー(背番号28)に加わっています。
当時の山崎圭一さんは、身長135㎝、体重28kgと、小柄な体ながら、伸びやかな声と表現力があり、ビッグマンモスの中で、一番、ソロのパートが多かったのだそうです。
山崎圭一は武田久美子の元恋人だった
武田久美子さんが、山崎圭一さんと出会ったのは、山崎圭一さんが堀越学園中等部2年生(13歳)の時でした。
同じ学校の1年生として入学した12歳の武田久美子さんが猛アタックして2人の交際は始まりました。
当時、山崎圭一さんは中2に進学する前の1981年3月にビッグ・マンモスを卒業していましたが、人気のアイドルということで、2人はつき合っていると言っても表立って会うことはせず、山崎圭一さんのお母さんが経営する東京・品川区にある喫茶店で、クリームソーダを飲みながら会話をする、そんな純愛でした。
それは、つき合い始めて2ヶ月が過ぎた夏休みの日のことでした。
1981年8月3日、芸能界デビューが決まった武田久美子さんはその日は、プロフィール写真を撮影するために代々木公園にいました。
同じ日、山崎圭一さんは神奈川県葉山の海へ泳ぎに行っていました。
撮影の仕事が終わり、彼の母親の喫茶店で2人は落ち合う予定でしたが、山崎圭一さんは海で溺れて心不全で亡くなってしまったのです。
武田久美子さんと山崎圭一さんの詳しい純愛悲恋や武田さんが山崎さんに書いたラブレターについては、こちらの記事を参考ください。
武田久美子「天国の彼へのラブレター」アイドル山崎圭一との純愛初恋に涙腺崩壊!
山崎圭一さんの海の事故により2人が一緒に過ごせたのはたった2ヶ月でしたが、武田さんの心の中には、いつも笑顔で素敵な山崎圭一さんがいらっしゃるのではないでしょうか。
ついつい、武田久美子さんの離婚の原因は、結局、お相手が山崎君を超えることができなかったからなのでは、と思ってしまいます。
コメント
武田久美子さんが意外と純情な時代あったなんて、知らなかった。